Quote Originally Posted by Mulius View Post
となると、時間と知名度との関係性を解きほぐす必要がありますね。
知名度を上げるには、時間が必要。
でも、時間をかければ必ずしも知名度が上がるとは限らない。
「時間をかけると必ず知名度が上がる」が証明されれば、時間=知名度=ヒエラルキーの要望という図式が成り立ちますね。
FF14が新生になるときのインタビューで吉田Pがオンラインヒエラルキーを重視する、という言葉が出てきているのでヒエラルキー、という言葉を使っていますが、もっとくだけて言うのであれば、オンラインゲームとしてどんなプレイ結果を優と定義するのか、という「共通の価値観」とその価値観の中での「プレイヤーの位置、序列」と言うほうが私の話をしているイメージに近いかもしれません。

FF11の場合は、この価値観はかなり共有化されていて、「強い装備を得て強いキャラクターとなる」というのがかなり普遍的になっていました。
この価値観の中での序列を上げる手段はきっちり定義されていて、一定の努力が結果に繋がることも見えており、序列についても必ずしも最高位で無くても意味があったので「ゲーム」として楽しむという意味では、非常にわかりやすい構造で遊びやすい、という利点がありました。

FF14の場合は、新生当初は高難易度レイドのクリアでしたが上で書いたようにヒエラルキー維持が難しく、序列の許容幅が非常に狭いのでゲームとして共有できる価値観、としてはFF11と比べて非常に弱いです。
一方でテーマパークを目指している、という通り、PvPやハウジング、ミラプリなどなど所謂メインストリーム以外の要素で個別にヒエラルキー形成が可能となり、自分自身がどういう遊び方をしてどういうところを目指すのか、というのを考えなくては楽しみづらい、構造だと思います。

FF11であれば、強い装備というのは凄く価値があり、ゲームをしている以上、その価値観は皆で共有できます。
一方でFF14は価値観が多様化している為、レイドクリアを自慢しても人によってはどうせすぐ価値なくなる装備だよね、となるしミラプリやハウジング、PvPも興味が無ければまったく価値を共有できません。
なので極論を言えば、FF14の価値観というのは、どうしても共有化、普遍化ができず、自己満足の領域を出ないのです。
そして、それこそがFF14のウリでもあり、価値観の共有を強要されず、様々な遊び方を自分で模索して選べる人にとっては非常に楽しいゲーム、というわけです。

Nekohebiさんはいろいろな人の遊び方模索の提案に対して、何度か「自己満足的なプレイ」では自分は満足できない、と言っています。
FF14がテーマパークとしてのヒエラルキーの多様化は、エウレカだろうとどんなコンテンツが入ろうと変わらず、変わることもないでしょう。
だから、自己満足では満足できない人と、FF14では自己満足にしかならない遊び方をいくら議論したところで、意味がない、というのが私の結論です。