自分の意見が絶対正しいと思ってる人に何言っても暖簾に腕押しなだけではないでしょうか、キーボード叩くエネルギーの浪費ですよ
自分の意見が絶対正しいと思ってる人に何言っても暖簾に腕押しなだけではないでしょうか、キーボード叩くエネルギーの浪費ですよ
なるほど。
確かに緊急車両や緊急避難であれば特別に許されますね。
では、赤信号は止まる必要がない と主張しますか??
…と言うのは脱線して行ってしまいますね。申し訳ございませんでした。
最後にコレだけは気になるのですが、ココで主題で有る、
外部ツールでのギミック管理において、秋山さんの主張はなんなのでしょう?
今までの発言から私は「使用しても良い」と主張しているように読み取れます。
私の見解は、ルールでは外部ツールの使用はダメってなってますよ。 です。
色々と調べ中であまり詳しく書けないのですけど
VCと外部ツールの判別がつかないのは事実です
それと同時にVCと外部ツールが別のものであるのも事実
一見矛盾しているようだが、矛盾しないのは、それぞれ語っているレイヤーが別だからだと考える
そこで、
人間はどのように外部ツールとVCは違うものだと考えるのか?(a)
VCと外部ツールは判別がつかないのだが、ツール使用者は悪なのか善なのか?(b)
という点について、このスレッドではよく話されていると整理するとします
(a)(b)それぞれのキーワードは似ていますが、
・VCとツールの不可分について
・ツール使用の善悪について
は取り扱うレイヤーが異なるものであって、
それぞれ別にディスカッションすべきなのでは?
と思いました
Last edited by nanakamado; 03-06-2020 at 01:19 PM.
わたしは木。
そもそも前提としている例に意味がありません。
FF14で簡単に説明すると、あなたが「PvPにおける死体の上でジャンプ連打する行為」はとても嫌な気持ちになるので「悪」だと思い、
規約にも「死体ジャンプはハラスメント」と直接書かれていたとします。
これがある日突然規約で「死体上ジャンプはハラスメントに該当しない」と反転したらどうですか。
規約が反転した時に、あなたの心は一瞬で変わりますか?変わるわけないでしょ。
もし規約とともに心が変わるのであれば、単に規約に従属してるだけなので、何も考えてないという事と同じなのです。
これはフロムのいう自由さを簡単に言ったもの(語弊もあります)で、
善悪とは自身の心から真に生み出されたものでなくてはならず、規約とか他者みたいな”何か”に従う事で生まれるものじゃないです。
(参考:「悪について」「愛するということ」)
これを知らなくても、善悪という心に存在する道徳的なものを「客観的な法や規則で判断」という表現を取る事は、
何かおかしいと引っかかってもらいたいです。
そして、その起源については、フロムが影響を受けたカント(18世紀の哲学者)の考えまで遡ります。
更にそのカントはルソーに影響を受けているので… キリがないですね、やめておきましょう。
別にボクはマウントしたいわけではなく、「善悪とは」というテーマは絶対に昔から誰かが考え、まとめているものなので、
それは簡単に想像してもらえると思うんですが、で、
かつてどういう議論が存在して、どう発展して、どういう風に「人類が善くあろうとしてきたか」知った上で、
ボクが説明しているこの土台の上に今の話が存在するという形にした方が、
あなた独自の説を展開するより有意義な結論に結び付きうると考えているからです。
ボクは否定する事が目的ではないので、
こうしてしっかり「スレのテーマのどこに繋がるか明確にして」「自分の考えを述べ」「出典を明らかにして」「具体例を挙げて」伝える事を心がけていますが、
どうでしょうか。
もっと、建設的な意味のある例を出したらいいかがですか?
「死体ジャンプはハラスメントに該当しない」などという規約が作られるわけがないじゃないですか。
論理の飛躍的展開で煙に巻くのは、もう止めてください。
「規約における善悪」に心のあり方は関係ありません。関係あるのはその「行為」だけです。
マナーやモラル、ましてや哲学の話をしているのでもありません。
「道徳的な善悪」と、「集団活動の規則における善悪」を同等に考えるから、他の人とも食い違いが起こっているのではないでしょうか?
規約違反に対してペナルティを課すかどうかの判断をしたり、どのペナルティを与えるかを判断する際に、規約違反を行った時の状況、当事者の心理的状況などが基準となる事はあるでしょう。それによって、運営が決めているペナルティのランクが下がったり、上がったり、場合にはよってはペナルティなしとなる事もあるかもしれません。
その時にマナーやモラル、Akiyamashuuichiさんのおっしゃる心の有り様が意味をなすのだと思います。
Last edited by Yurashia; 03-06-2020 at 03:53 PM.
正しいか間違ってるかではなく、ピントがずれてる。
反論する方も、間違ってると反論するもんだから噛み合わない。
ピントずれてますよ~。と言ってあげても何故かそれには反応しない。
意図的にやってるとしか。
とりあえず議論をしたら?
討論してないで
スレッドタイトルである「外部ツールによるギミック管理」については、もう結論出てるんですよね。
ずっと関係ない話をしてる人がいるだけで。
これは
と同じ立場ですね。ボクはその時説明したのですが、
「心の在り方を持たない規約上の善悪」という概念は、単に規約の文言に抵触するかどうか言ってるだけで、
結局その後でかき分けと書かれたように「じゃあVCが悪かどうかは別に考える」って話になっていく(いった)のですが、
だったら最初からボクが言ったように行為そのものの評価でのみ善悪使った方がいいです。
「この善悪はマナーやモラル、哲学の意味ではない」と言ってるという事は、
規約に抵触するかどうかというシステマチックな挙動しか意味しません。
それを「善悪」という哲学的・道徳的に重く”心の在り方”を示した言葉で表現する事が本当にふさわしいのかは、一度考えて欲しいのです。
善悪という言葉自体が哲学・道徳という心の在り方の歴史の上に成り立っているものなので、
そんな重みのある言葉から重みを抜いた独自の使い方されても、混乱してしまうんですよ。
最終的に
「あなたは善悪という言葉を道徳哲学的な意味で使っていますが、私(たち)は心の在り方や道徳・哲学的な意味で善悪という言葉を使っていません!同様に扱うのがおかしい、故に食い違うのです」
って、いや、知らないです…。
だからボクは「規約に抵触する」を使ってみては、と言ったのであって、
その上でボクの意味での道徳的な善悪にかぶせるなら、ボクがしたようにより適切だと考える言葉を提示するとか、ボクが言った内容を斟酌するとか、して欲しいです。
みんなが善悪を『道徳や哲学、心の在り方の意味では使っていない』なら、それに合わせても良いのですが、
じゃあボクの言う「心の在り方としての善悪」はどういう表現するのがいいんですかね、せめてアイデアをください…
あと、「例に意味がない」と言われましたが、
道徳的な例の話に「実際起こりえない!不適切!」なんて回答はやめてほしいです。
心の働き(機能)を説明してるので、テーマは正しく受け止められる事を期待しています。
トロッコ問題見て「俺は大声で叫んで全員助ける道を探す!」とか「そんな事は実際ありえない」とか「太った男落として止まる電車なんてある?w」とか、
考える人がいたらおかしいでしょ?(トロッコ問題知らなかったら言ってください)
「VCは規約違反か」「ゆっくり攻略動画は規約違反だが、作成者のモラルを否定するか」と同じで、
なるべく極端な例で話した方が、みんなが心に思う結論は一緒だから分かりやすいと思うのですが。
【返信1】
そうですね、道交法は命という重大なものを保護するためにもあるんで、秤に乗るのも命ですからね。
じゃあFF14の規約は一体何を保護しているのか、何を秤にかけていいのかという風に考えを続けて貰えればいいかなと思います
(まあ天秤にかけるというベンサム的な考えは批判されやすいんですが…)
【返信2】
ボク、このスレで
ボ「利益が無いからツール使わない」→「利益があれば使うんですね?」
ボ「規約違反が直接リスペクトを欠く要因にもならない」→「規約違反者にリスペクトって」
ボ「赤信号で止まらなかったからと言って状況次第なのは当たり前でしょ」→「では、赤信号は止まる必要がないと主張しますか?」
って流れを経験してるんですけど、なんかこういうのいつもよくないと思うんですよ。何も引き出せないじゃないですか。
ボクの主張は何度か書きましたが、それも含めて今まとめてる最中なんですけど、
返信が多いのでなかなか進まない状況です、お待ちください。
【返信3】
議論って違う考え方の人とやるのが普通なんで、別にやり込める必要はないというか、
批判を受ける事で改めて自分の考えを補強したりする事も出来て、
カントの理論だってニーチェによる批判を読む事でいっそう理解しやすくなるよね、みたいなもんもあるので、そんな正しい正しくないにこだわる必要もないんですけどね。
長くなったので小話を挟んでおきたいんですけど、
喫茶店って雑誌とか新聞とかおかれてるじゃないですか、あれ何で置かれてるのか知ってます?
チコちゃんみたいな切り出し方しましたが、
あれ実は昔、カフェが議論する場所だった名残なんですよ。
今みたいにインターネットが無かった時代、みんなカフェに集まって、
知らない人と新聞見ながら、政治の話とか哲学の話とかしてたんです。
そのために新聞とか雑誌とか沢山置かれてて、
「ここにはこう書かれてる!お前らどう思うんだ?俺はこうだ!」みたいな事してたんです。
哲学者とか革命家とか政治家とか直接くることも多かったみたいですが、その時大盛り上がりだったでしょう。
時には殴り合いに発展する事もあったんですが、基本的には違う立場の人間と話しても穏やかなもんですよ。
そうじゃなきゃ議論になりませんからね、アーモロートにおける人民弁論館みたいなものですね。
つまり、違う立場の人間と話すこと自体、本来自分にとって有益で豊かにしてくれるものなんですよ。
議論とは「どう他人の考えを吸収して、どう自分の考えを豊かにするものか」という性質のものであるべきです(それこそアーモロートの2人組がしたように)。
でも『相手はなぜ、なにをどう考えているの?』とか『豊かに考えていく』とかいう事に興味が無くて、
「自分が善悪や道徳を考える事に一体何の意味があるんだ!」って思ったりしながら、やり込めようとする事が目的だったら、
それはほんとやめた方が良いんじゃないかな~。甘いもの食べて落ち着きましょう。と思います。
ちょっと最近、明らかに議論の形を成せない行き過ぎな発言も見るようになってきたので、流れを修正したくてこう書きました。
ちなみにさっきの話ですけど、カフェが議論の場所だったのは本当ですけど雑誌のくだりは場を和ませるため今適当に考えた冗談です
Last edited by Akiyamashuuichi; 03-07-2020 at 08:39 AM.
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