念の為に隠しておきます。
3.xのメインストーリーで、
死ぬキャラ・居なくなるキャラが
多すぎじゃないかな……と思いました。
私はそれを残念に思っております。
果たしてそれが、プレイヤーにとって
意味のある死(離脱)だったのかどうか、疑問だからです。
イベントでオルシュファンの死について説明を求められた際、
吉田Pが「これは戦争だから」と仰っていました。
「戦争しているのに、犠牲が出ないのはおかしいだろう」
という意味だと、私は解釈しました。
ただ、キャラクターの死を軽く見過ぎではなかろうか?
私にはそう思えるんですね。
好評を博した暗黒騎士のジョブクエストでは、
フレイというキャラクターを通じて光の戦士の葛藤を描きました。
あのクエストによって、光の戦士はやっとエオルゼアに実在する一人の人物である、
血肉を持った人間であると証明できたと私は思っています。
シドゥルグとリエルの2人の関係性、葛藤、成長を
クエストを通じて見守るうちに
「ああ、この人達は私たちプレイヤーと同じ血が通う同じ人間なんだな」と実感し、
いつの間にか感情移入していました。
物語を制作側から見て「あるべき方向」へと向かわせる為のパーツとして
キャラクターを使っているように見えるのです。
ですが私たち一人一人がそうであるように、
人間は、キャラクターはパーツではありません。
死なせるにしても生かすにしても、
キャラクターを立たせて欲しいです。
それをおろそかにしたら、どんなキャラクターも
プレイヤーにとってどうでもいい人のままではないかと思うのです。