あの場面でデリカシーが話題になるのは、「あえて『デリカシーの無い大人』をフィクション内で表現している」ようには見えなくて、「作品世界にデリカシーそのものが無い」という印象が強いのが問題かと思います。なんだか少し風向きが変わってきて、黄金のレガシー以降のシナリオを批判するにしても焦点がアレアレ……?となってきているような気がするんですが……
例えばグルージャにあの内容を聞かせるのは倫理的にあるいはデリカシーなさすぎて驚くという内容が増えてますが、そうは言ってもこれフィクションですよね。
「現実にデリカシーのない大人の振る舞い」と「フィクションで描かれたデリカシーのない大人の振る舞い」とを同じ調子で非難したりシナリオの欠点として批判の対象にするのは、さすがに色々ごちゃまぜにしすぎてまずくないかなと思うのですが。
これをNGとするのって、お名前は出しませんが例のポリコレ会社が関係各社にコンサルティングの名目でやらせようとしていたこととあまり変わらないのでは?
この路線の話をするなら、FF16はベアラー差別を描けないことになりませんか。あるいはヤクザものの作品で人殺しをする場面を描けないことにならないですか。
デリカシーのない残念な大人を、家族にも心の内を見せない残念な形で自ら孤立していった大人を、家族のことを見ていたようで見ていなかった大人を、フィクションだからこそ描いている、とぼくは感じるのですが少数派なのかな……。
読み手であるプレイヤーに対して、何かを印象付ける説明や描写が足りない、というのはシナリオに対する健全な批判だと思います。
が、内容が残酷にすぎるとかデリカシーがないというのは、そう描かれた作品に対してはむしろ「作る側の思う壺ですねヘッヘッヘ」というか。
作品の傾向が自分にあわなかっただけなら、「こういう内容は自分にはあわなかった」が諸々適正なんじゃないのかなあ、と個人的には感じる次第です。
「何が記録されてるかわからないデータをいきなり子供に開示する」という行為を気にしない人も拒否感を感じる人もいるように、あの場で誰一人疑問を出さないのがキャラクター描写として正解には思えない人が多いからだと思います。
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