個人的には、規模が小さくなった、普通の冒険ってこの程度だよね、漆黒暁月ほどのスケールではないよね、というのは全然問題に思ってないです。逆に、その辺のスケール感は期待以上でした。
そういうところ以外で気になるところが矢継ぎ早に出てきて、スンってなっちゃった部分が大きいかな。

振り返ると、個別のシーンを単体だけで見ると結構かっこよく(王道的に)描かれてると思うんです。「こういうシーンってなんかエモいよね!」という感じになっていると思います。
でも、それが全体として繋げたときに「このシーンはこのストーリーの中での描き方としては???ではなくて?」って思ってしまう。
色々とあるけれど、例えば継承式で石塔をお披露目するシーンなんて分かりやすいと思います。人間関係の設定や前後を考えずにあのシーンだけを切り取ると、とても王道的で良いシーンだと思います。
でもストーリー全体を通しての一幕として見ると、本来なら実子ゾラージャも観客として参加しててもおかしくない場なのに、「養子たちだけで連王をやります!ゾラージャは含まれません!」という宣言にもなってしまうあんな石塔を用意してるだなんて、血も涙もないやつらだな、と。
しかも実子ゾラージャが行方不明なのに、誰も気にせずに平和にニコニコしてるとか、ね。

何となくですが、出発シーンとか、要職要請シーンとか、襲撃シーンとか、暁の集合シーンとか、ゾラージャ乱心シーンとか、、、そういう諸々を「ここは、こんな感じのシーンにすればエモいよね!」というのを、それぞれ単体で考えて作って、それらは確かにエモいシーンとしてきちんと作られているんだけど、それを全体の流れとしておかしくないかはあまり気にせずに間をつなげて、結果、おかしな感じになってしまったストーリーなのかな?

と思いました。