何も言わないよりは言った方が良かろうということで、ちょっと厳しめになりますが、私も感想を…。
ほとんどのところで、プレイヤーの「納得」が置き去りにされているなと感じました。
これはメインシナリオに限った話じゃなくて、グラフィックアップデートとか、ジョブ調整関連も含めた、「黄金のレガシー」というゲーム全体への7.01時点での感想です。
が、スレ違いのは話題は避けて、あくまでメインシナリオの感想のみに話を絞ります。
個人的に一番納得がいかなかった点は、やはりリビングメモリーでの「ターミナルシャットダウンによる永久人データ大量消去」の部分です。
・カフキワさんは永久人の当事者ではあるが、彼らの代表者ではない。
・彼女の考えに共感はできるが、それが永久人たちの総意かどうかはわからない。
・永久人との直接交流で多少は彼らを知った気にはなったが、それすら永久人のごく一部。
そんな状況で、どれ程の数がいるのかも分からない「誰かの生きてきた記憶=アレキサンドリア人にとって魂より価値のあるもの」を、勝手に消すってどうなの?って、ずっと納得がいかないまま、苦虫噛み潰したような顔でストーリー終盤を進めてました。
そもそもなんですけど、永久人がリビングメモリーの外では生きていけず、生命力の供給が途切れたら実体化を維持できないのであれば、各ターミナルのデータはほっといたままで、スフェーンだけを倒せば済む話だったのでは?
あとは時間の流れに任せていれば、生命力切れになった永久人から自然に消滅していくんじゃないの?
何故わざわざ、ヒカセン達にターミナルのデータ消去=永久人の抹殺っていう、後味の悪い事をさせたの?
クリアしてからそこそこ経つけど、そこら辺の必然性が未だにず~~っと分からんのよね…。
この行為、「侵略戦争を仕掛けてきた敵国の親玉を倒すために本拠地に潜入したんだけど、ちょっと時間があったから、そこらにいた敵国の非戦闘員の一般市民もついでにデストロイしてやったぜってコト?」と誰かに問われた時、私は「それは違う!」と上手く説明できる自信がない…。(やってることほぼそれだから……)
誰かが作った物語は、結局はその作者の目指す結末に都合よく向かっていくものだけれど、漫画やら映画やらとゲームの一番の違いは、それを受けとる側が「プレイヤー」という立場で、その物語の当事者になれるかどうかっていう点でしょう?
だからこそ、作り手側が進ませたい道、選ばせたい選択肢を、プレイヤー側も「自分もこの路を選ぶぜ!」ってちゃんと納得ができるように演出していく。それが物語への没入感、自分が主役だという実感に繋がる。
黄金のレガシーには残念ながらそれが足りない。そのせいで、物語の随所にある色々な決断やそこからの展開に素直に納得ができないまま、「う~ん…」と唸りながら、首を傾げながら冒険した気がします。
最後に、全くの蛇足ですが、リビングメモリーでの物語がこんな感じだったらなぁっていう妄想を吐き出しておきます。
物語の時間よりもだいぶ前、スフェーン自身も永久人システムの限界から目を背けられなくなっていた。
ところが、その考えに気付いたターミナルに保管されていた永久人の記憶データたちが「生きたい」「消えたくない」という感情をスフェーンに向かって一斉送信。
その強い思いはスフェーンのプログラム人格を侵食し、いかなる犠牲も省みず、あらゆる手段をもって永久人たちを守り続ける[優しい狂王]に作り替えてしまう。
とは言え、具体的な解決策も見いだせないままだった彼女の前に、ある日突然にゾラージャという力がもたらされた…。
その事実を越える力によって知ったヒカセン一行は、ターミナルをシャットダウンして永久人たちからの干渉を取り払えれば、「本来のスフェーン」と対話できるかもしれないと考る。
そうして迎えたエターナルクイーン戦。
途中乱入してきたラマチの叫びを聞いて、本来のスフェーンが覚醒。クイーン内部から緊急停止コードを送信するので、時間を稼いで欲しいと訴える。
しかし、戦闘終了と同時に送信されたのは停止コードではなく自滅コード。
カウントダウンが響く中、駆け寄ってきたラマチにスフェーンは笑顔で語る。
「優しいだけの王様はもうやめるって言ったでしょ?…本当はもっと早くにこうするべきだったんだ…」
とかエモいこと言いながら、メインターミナルのデータと共に消滅。そしてエンディングへ…。
みたいな感じだったら、スフェーンの凶行の引き金となったのは実は永久人たちで、ターミナルのデータは消去するのが正解だったってお話になるので、それなりに納得できるかなって思いました。