魔導書の発見
第七霊災によって各地で古代遺跡で発見されたことで古書の研究が進んだ。
その一環で、崩壊したミズンマスト図書館の再建中、蔵書の中に巴術の魔紋が描かれたものがあることが判明。研究の結果、これが図鑑や事典などではなく、むしろ「魔物大全」に近い道具で、戦場で術者が直接行使するための携帯用にデザインされたものであることが判明した。
紋が描かれた書物に手のひらからエーテルを注ぎ込むという運用法は画期的発見であり、魔物大全と違い連続使用できる点も画期的であった。
新生魔導書の成立
発見された書物は「魔導書」と名づけられた。
その実用性は認められたが、図書館で原型を留めて発見された数は少なく、複製も困難であった。
新生魔導書の成立にはグリダニアとウルダハのクラフターギルドによる技術協力があった。「小型の魔紋でも正確に描画できるペン、経年劣化しないインク」、「激しい戦闘や雨に耐えられる紙、手に持ったまま術者が魔紋にエーテルを継続的に供給できる軽くて頑丈且つ高いエーテル伝導率を持つ皮や貴金属の表紙」といった素材が提供されることで、古代の魔導書の複製は完成した。これによって巴術の秘密主義は一定範囲で捨てることとなり、後の巴術のオープン化に繋がった。
黒衣森にいた、匿名を条件に協力したという技術者の貢献も大きかったようだ。
税関公社の方針転換
「魔導書」の改良には、新たな概念を理解し運用できるだけの柔軟性を持った術者の確保とフィードバックが必要であった。巴術体系から戦闘に特化した要素を抽出、これを冒険者ギルドの審査を通った者の中から募集した志願者に無償で提供。試作と運用を繰り返しグリモアは改良を重ね、徐々に高性能のものが作られていった。
一定の成果が得られた時点で、巴術士ギルドの巴術杖は全て魔導書に置き換えられた。
霊災後に成立、あるいは復古した新巴術体系の研究と、更なる魔導書の改良は現在も続けられている。