スレ違いとは思いますが、開発の方に暁月の感想を伝えたいので便乗させて頂きます。
暁月のメインクエは失敗作とは言わないまでも、漆黒からはかなり劣化していると感じました。
各場面場面では盛り上がりもあり、感じる所は多かったですが、全体を通してみた時のプロットや設定に疑問を感じました。特に厄災の真相に至る流れとラストについて。
まず個人的に大きな問題だったのがゾディアーク戦が討滅線であったこと。私はゆくっリプレイしていた状態でCFに行ってしまったため、他のプレイヤーは既に慣れており他のプレイヤーについていくだけで簡単に勝ててしまいました。「簡単に」勝ててしまったことで後々のゲーム体験が非常につまらないものになってしまったのです。
自分が操作する主人公が苦戦する度に「何故ゾディアークに簡単に勝てる主人公がこんな相手に苦戦するのか?」と思うことになり「いやいや、あれはCFだったから簡単に勝てただけで本来は苦戦していたはず」と頭の中で補正しなければいけなくなりました。
プレイヤーにそういう脳内補正を強いるゲーム設計ってどうなんでしょう?
これは私だけに限った話なんでしょうか?スタートダッシュで常に先頭を走っているのでなければCFで組む他プレイヤーは既にクリア済か予習してギミックを理解している状態で、苦戦にはなりにくいように思うのですが、他の方はどのように感じたのでしょう。
次にハイデリン戦がフェイス対応であったことで一気に冷めました。
「だったらゾディアーク戦もフェイス対応にして欲しかった」と。そうであればこんなに冷めた状態でメインクエをこなすこともなかったのにと。
以降は本当に冷めた状態で、どのような結末を迎えるのかを見るためだけに長い長いクエをただ進める作業となりました。
そして厄災の真因です。
メーティオンの「どうせ滅びるのだから私が滅ぼしてあげる」というのが厄災の真相だったと私は理解しました。ならば「『苦しまないように』滅ぼしてあげる」でないと意味がないのではないでしょうか。
メーティオンのやっていることは「どうせ死ぬのだから私が殺してあげる」と元気な人を拘束してノコギリで切り刻んでいるのと同じように私には思えました。
つまり狂人の暴挙が原因だった。
なんというかものすごい肩透かしでした。哀れな経緯とはいえ力を持ちすぎた狂人を倒すだけという、勧善懲悪の単純な話に思えがっかりしました。
更に苦戦する主人公達を救うのが違う方向に狂ったゼノス。
自分の身につけた技術を全力で振るっているときのみ生きている喜びを感じる。残念ながらその身につけた技術が人と殺し合うためのものであったことと、自分が喜びを感じるために非常に多くの人の命を犠牲にした狂人がゼノスという理解です。
これまた勧善懲悪の単純な話に思えがっかりしました。
更にゼノス戦で主人公は何度でも復活する不死身状態なので、チートかバグ技を使って勝ったような気分になりました。
そのくせ物語は激戦の末主人公が辛勝しゼノスは満足したかのように進むので共感する部分はまったくありませんでした。
正体不明の力で何度でも復活する主人公に負けて何故ゼノスは満足なのか?私には理解出来ません。誰かに負けたかっただけなんでしょうか?
クリアできないプレイヤーが出ることへの配慮なのかシステム上の都合なのか理由はわかりませんが、何故普通のインスタンスバトルにしなかったんでしょう。
インスタンスバトルならもうちょっとは苦戦した印象になったでしょうに。
暁のメンバーや過去の登場人物たちの描き方はとても良かったです。でもそちらに頭が行き過ぎて厄災と戦う流れ、プレイヤーの体験とストーリー進行が噛み合っていない。更に敵側の設定や、流れにも問題があると感じました。
漆黒にあった、「今」より平和で穏やかで進んだ古代の世界を復活させようとしているアシエン達は間違っていると言い切れるのか?主人公を代表とする今の人々が「古代人を超える未来を作れるだけの資質があるか見てあげよう。まあ無理だと思うけど」というエメトセルクは悪と言えるのか?といった深みはどこに行ってしまったのでしょう。
メーティオンが狂ってしまうまでに見た終末も見たことがあるようなものばかりで、漆黒のような深みを私は感じませんでした。
釈迦に説法とは思いますが魅力的な敵は物語を引き立てます。魅力の無い敵は主人公も魅力のないものに見せます。今回は後者だったと私は感じました。
長い時間を使わされた割に、とんだ期待はずれだったと言うのが私の感想です。


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