帝国がなぜエオルゼア歴を採用せずに、独自の帝国暦を採用したのかを知りたい

帝国がなぜエオルゼア歴を採用せずに、独自の帝国暦を採用したのかを知りたい


情報1)
エオルゼアに伝わる書物「五紀暦」によると、エオルゼアでも第六星暦233年より前は各都市国家がそれぞれの暦を使っていたようです。五紀暦は旧14で読むことができた本で、ネットで検索すると2015年2月時点では読めなくもないです。
情報2)
旧14の舞台は第六星暦にガレマール帝国が侵攻してきた15年後の時代ですが、当時はシド・ガーロンド以外の「ガレアン人」を見たことがある人はほとんどおらず、シドを見たことがある人ですらガレアン人だと認識していた人は多くなかった気がします。また、リムサ・ロミンサの知識人でさえ「ガレアン人は甲冑を着ているけど、カブトを脱ぐとじつは三つ目だった!とか酔っ払いの与太話ですよねー(意訳)」といった程度の認知度でした。建国当時ガレアンとエオルゼアでは文化交流はほぼなかったと言ってよさそうです。
ということで、「そもそもエオルゼア暦を知らなかった」という可能性は高いかなと思います。
また
ガレマール帝国が建国当初から「エオルゼアに侵攻するぜー!」という話だったら、「支配国の暦を使ったら統治しやすいかも?」という判断もあったかも知れませんが、そうではなく、建国から36年もかけて、おそらくはそれぞれエオルゼアと同じくらい面積がある北州と東州を平定して、やっとこさエオルゼアにやってきた人たちです。もしかしたらドマには(降神祭の根拠となるような)ドマの暦があったかも知れないし、北州にもそれぞれの暦を持つ国があったかも知れません。
とすると「ほかにもたくさん暦はあるし、エオルゼア暦は知ってたけど別に使う動機がない。」ということなのかも知れません。
あと、「とてもえらいひと」が就任(?)したときに新たな暦を始めよう、というのは、日本でも明治より以前には「当然のこと」ととらえられてと思うし、ガレマールでもそうだったのかも知れません。
帝国歴に関しては私の知る限り情報がぜんぜんないので、「元号」だけの違いじゃなく暦法がそもそも違う可能性も否定できませんがそれは保留。

ありがとうございます!!とても参考になりました。
エオルゼアの世界が一段と好きなったっす!
「五紀暦」について調べてみます。
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