7.1から後追いで7.5まで追いつきました!
いっぺんにやったのでパッチごとの切り分け感想はできないのですが、全体としては徐々にギアが上がってきたように思います。
特に嬉しかったのは、物語の主役の座が光の戦士に戻ってきたことです。
また、NPCたちにもそれぞれの人格や価値観の違いが感じられる場面が増え、7.0で個人的に感じていた妙な画一性(テーマを強調するための副作用だったのかもしれません)が薄れていたのも好印象でした。
全員が同じ結論や同じ感情へ向かうのではなく、同じ出来事を前にしても少しずつ異なる反応を見せるようになったことで、キャラクター同士の会話にも自然さが戻ってきたように感じます。
アルフィノがシドのことを思い出すちょっとしたトークで、「そういえばシドどうしてるかな…」と、エオルゼアの住民として素朴に思い返すこともできました。
また、光の戦士自身についても、プレイヤー側で解釈する余地が比較的残されており、その点でも7.0より楽しみやすかったです。
今後に向けて興味を引く要素も増えてきたので、次の展開を楽しみにできるようになりました…!
それと、商客物語のストーリーもとても好きでした!
メインクエからはやや逸れるので畳みます。
一つの物語も、語り手や版によって展開が変わり得ること。脚色の余地も広がり、新たな意味が生まれること。そして、その中から己にとって最も大切なメッセージを、読者兼出演者であるナズカが選び取ること。なんとも自己言及的ではありませんか…!
FF14が長年培ってきたテーマの多義性や解釈の余地、そのものをさらにテーマ化したような話運びで、胸が熱くなりました。
また、光の戦士が選択肢で「セリフが決まっているのかも」と発言する場面にはシビれました!とても印象的でした。
プレイヤーキャラクターでありながら、物語の登場人物でもある光の戦士の立場を思わせる、これまた自己言及的な演出で、とても味わい深かったです。
一方で、アライアンスレイドのサードウォークでは気になる点もありました。
以下はメインクエから少し逸れるのと、懸念点の提示なので畳みます。
サレージャとの問答に違和感がありました。
光の戦士が「なぜ仲間と共に居るのを選んでいるのか」という問いに答える場面で、選択肢が特定の価値観へ収束していたことです。
FF14の光の戦士は長年にわたり、プレイヤーごとの解釈を許容する主人公として描かれてきました。
一本道のシナリオでありながら、これほどの解釈の幅を持つのは、素晴らしい宝物だと私は思っています。
NPCの反応の多様性、テーマの多義性、選択肢の揺らぎによって、奇跡的なバランスで担保されているように感じます。
仲間を何より大切に思う光の戦士もいれば、冒険心で動く光の戦士もいるでしょうし、成り行きでここまで来たと考える光の戦士もいるはずです。
しかし今回の問答では、「なぜ仲間と共にいるのか・それを選んだのか」という根源的な問いに対して、プレイヤーの解釈の余地が感じられませんでした。
私が特に違和感を感じたのは、私はシナリオ上で仲間と共にあるのを「そもそも選んではいない」のです。
仲間が増えるエピソードはそれぞれに素敵ですが、すべては一本道です。
そして、それを示すことが一切不可能であったことです。
「仲間と居るのを選んだ」と言うように誘導されたのが、7.0で感じた画一性の弊害が思い出されて、少々落ち込みました。せめて「何も言わない」選択肢が欲しかったです。
私自身は「その方が楽しいから」を、仲間との交流そのものではなく、冒険や経験の広がりを含む意味として受け取りました。
しかし直後のプリッシュの反応によって、その選択肢も「仲間と居ることそのものが楽しい」という意味に確定されたように感じました。
加えて疑問に思ったのは、光の戦士のこのような自己定義をコラボ内で行う必要があったのか、という点です。
サレージャとの対比を描く意図は理解できますが、そのために光の戦士の内面を一定方向へ誘導してしまう副作用を感じます。
その対比の強調は、光の戦士の解釈の幅を狭める代償を払うほどのものだったのか、疑問です。
仲間との絆を描くこと自体には異論はありません。今回の仲間たちそれぞれに好ましい所がもちろんありました。
ただ、「仲間と共にいる理由・それを自ら選んだのか」という、光の戦士ごとに異なる答えを持ちうる問いについては、もう少し幅広い受け取り方を許容する描写であってほしかったです。
この意見は一本道のシナリオを否定するものではありません。ただ、一本道に自覚的であってほしいのです。
プレイヤーが実際には選択していない事柄を、後から「選んだことにする」描写には、慎重であってほしいと願います。