エンドロールで該当シーンが出てくることに全く違和感を抱きませんでした。
シーンとして可愛いですし、彼女とその使い魔がヴォイド探索において果たした役割は大きいので、エンドロールで6.xのお話を振り返った時にピックアップされるシーンとして疑問を抱くようなものではないと個人としては思います。
エンドロールよりも、当時該当シーンで選んだ選択肢に対する光の戦士の反応がプレイヤーの気持ちに一致するものではなかったことを思い出すために不愉快だったというお話ですよね。

『意味を知らない誰かの前に見る人が見ればわかる言葉を並べるのはゲラゲラと楽しかった事でしょう。』
というのはちょっとよくない方向に考えすぎていませんか?
このゲームに限らず数多の創作物も現実も、意味を知っているともっと楽しめるという類のものに溢れています。
それらは元ネタや原典を知らない人を嘲笑うために仕込まれているわけではないですし、知らなくても十分楽しめるものです。