ウルダハの薬学院やイシュガルドの神学校をお忘れなく…
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元はアラグの魔科学が源流で魔法学(エーテルの応用)と科学(機工技術)に分派したのかもね。
シャーレアンとガレマールの関係を深読みすると妄想が楽しい。
速攻逃げ出すあの弱腰っぷりの裏に何か隠してるかも?
いわゆる「槍術」というのは、あくまで私のイメージですが、
「動き回って牽制したり払ったりしつつ、チャンスを見つけたり作ったりして急所を突く」
であって
「重装歩兵のように盾を持って隊列を組む」
とか
「低コストで騎馬の突進を止めることに特化した可動防壁的運用」
ではないんですよね。
戦闘国家アラミゴのパイク兵がどんな戦い方をしてたかは興味深いところですが、グリダニアで教えてる「エオルゼアの平均的な実践槍術」とは、そういった機動的で攻撃的な槍の使い方じゃないかなと思います。
実戦、特に突く武器で重要なのは「どこを攻撃するか」であって「厚い皮や骨を避けて脇腹や背中のの弱点を貫通弾で狙う」とか「高所から首の後ろの肉を薄い刃で削り取る」とかいった戦い方が有効であることは我々が日常的に(?)経験をしているわけで、「レイピアで戦うなら板金鎧の継ぎ目を突くのが当然」であるように「クマの筋肉の隙間や脂肪の薄いところをピンポイントで狙って内臓や腱を傷つける槍術」といったノウハウの蓄積はあるかなと思います。
「武術」じゃなく、より実戦向けということでは「ギルガメも眠る睡眠薬」とか「非力な研究者の護身用の睡眠の劇毒薬」とか「現実」にあるので、異端審問で麻痺毒をさらっと使っちゃうイシュガルドなら、兵士に各種毒薬を支給するなど、個人の戦闘技術以上の有利な戦いができる仕組みがあることも考えられます。
このあたりは、個人個人が発想の基準をどこに求めるか、じゃないかと思います。
ハードSF系に寄りかかった場合は、おっしゃるとおりになるでしょうが、私の場合、FF14は「剣と魔法」に主眼を置くファンタジー、幻想系であり、
機械工学や弾道学といったハード系要素は、作品の色づけ程度のものだと考えますので、お説とはおそらく、真逆の立場になるかと思います。
つまり、あくまでも作品世界に設定された諸法則と、我々のリアル世界におけるそれとは一線を画したものであり、
それをリアル生活者であるプレイヤーが、「ナニコレ、トンデモなさ過ぎる」とドン引きし過ぎないために「リアルっぽさを与える味付け・粉飾」である。
と考えるわけです。
ドラゴンは、生活空間における「通常の脅威」であり、竜騎士のジャンプはそのジョブならできて当然の技術。
プレイヤーはそれがアタリマエの世界でアタリマエの顔をして暮らしている人々に紛れ込んだ異邦人に過ぎません。
だから、「オレには理解できんけど、とにかくスゲェーーー!!」と叫んだり「いや、きっとこうなんだ!!」と考察を巡らせたりできるのではないでしょうか。
でぶチョコボが飛ぶのは多分エーテル関係なく気合と思い込みで飛んでるから竜さんもそうなんでしょう
本家WSでも気合持ってるから後はプラシーボであそこまで高くジャンプできるのだと
多分
ええと、わたしの書き方が悪いのか、それとも例えがわるいのかですが、仰るところは同じですよ。
現実に上乗せをするっていうことはつまり「リアルっぽさを与える味付け・粉飾」です。わたしの言いたいところは。だから言い訳と書きました。
ハードSFなんてどうでもよくて、わたしはファンタジー考察派です。束物語をはじめとしたファンタジーが大好きないきものです。
ですが一方で、ファンタジーだからということを言い訳にすることには賛同できません。(賛同できないだけであって、それはそれでいいとも思ってます。)
例えば、ファンタジーだからと個人の習熟速度や戦うことへの困難さを考えないことに首を傾げます。
ファンタジーだからとマテリアルの生成・精製が楽なのだと(ファンタジー物質あるからなんでもおk!とか)結論づけるのは(公式設定がそうでない限り)首を傾げます。
ゲームシステムに毒されすぎて、この世界における刀剣類の扱いを軽んじている、ゲームシステムに毒されすぎてこの世界における生産・研究の扱いを軽んじているとすら思っています。
ゲームでもフィクションでも、つくられた世界には営みが歴史が存在しています。
それはすなわちゲームシステムで表現されているとは言え、わたしたちが捨てるような・簡易生産でささっとつくってしまうようなくだらないアイテムひとつひとつも。
死にスキルとバカにする術のひとつひとつも、この世界に住む人々の歴史と成果です。血と汗と結晶です。わたしたちの見えないところで連綿と受け継がれた重みのあるものです。
これらを(例えば『ある程度』と)ファンタジーの名において軽く扱うということは、それらはつまり主人公や主人公をサポートするNPC、世界に存在する素晴らしいありとあらゆる文化。
ひいては主人公たちが戦うドラゴンや事例としてあがったクマ、果てはアシエンたちを貶めることになるとわたしは考えます。
いえむしろ、個人的にそのような行為はファンタジーとは一線を画するもの・相反するものではないかとも考えます。もっと言えば世界に対する冒涜ではないでしょうか。
ファンタジー観はさまざまですが、ファンタジーを考察するにあって、
ファンタジーの世界と世界にあるものや世界に住む人々、動物たち、歴史・文化etc,etc..を尊重しない(考えない、視野にいれない)ファンタジーとは一体何なのでしょうか。
例えば主人公であるPCは全員(将来的には)フレアや(LB3で)メテオが使えますが、だからといってそれを(ファンタジーだを言い訳に)陳腐化したいとわたしは思いません。
ゲームシステムを基準としない、習熟度の困難さを担保することは、どうして主人公たちが英雄と呼ばれるのか。どうして主人公たちが使う魔法が究極魔法たるのか。その所以を保証・保障することへつながります。
剣術・槍術・銃術とて同様です。実戦的な術を皆が使えるなら(『ある程度』の山が低い、すなわちそれは学ぶこと容易であるということ)、この世界に英雄は必要ありません。
ファンタジーだからの一言で、この世界に実在する全ては実は弱いのだ・くだらないのだ、なんて世界(ひいては考察)は少なくともわたしは求めていません。
もっともそのように世界を嘲笑いたいがめに、システムと世界観の齟齬・荒を探してこのスレッドに投稿(質問)されるかたもいらっしゃいますが。
(でもそれはそれでありで、ぜんぜん嫌いじゃないです。笑いとしてなら)
剣と魔法があって、現実にはないものと専門用語さえ語り・何かしらこじつければ(考察すれば)それでいい。
物差し・根拠なんてどうでもいい。歴史・営みなんてしらない。自分が語るだけ語って、あとは適当についてくる。それがファンタジー。そんなファンタジー考察もありかと思います。
(ただ一方で考察、というには疑問ですが。目の前にある世界よりもただの自分の中のファンタジーや感想や想像を語っているだけかと思います。)
ですが、わたしはファンタジーを語り・考察する(そして自らをファンタジー好きとする)以上は、
その世界と世界に内包されたものを大事にした・尊重した考察(むしろ正しい意味ので考察でしょう)を第一義に考えたいです。剣と魔法こそがフレーバーです。メインではありません。
これらを踏まえた上で。わたしが現実的事実を引っ張ってくるのは、飽くまでも考察の根拠付けと誰もが理解できる物差しの準備、そして何より世界の価値をあげるためなのです。自分で自分の中のつぎはぎ設定を語って、結果気付かずに自身が足を踏み入れている世界を貶め、自分だけが満足してしまうという考察もしていない考察で終わりたくありません。