今回うんこ運ぶサブクエ無いなぁと思ってたらしっかりありましたね
フィナーレってついてるけどなんかいつも通りでほっこりしました
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今回うんこ運ぶサブクエ無いなぁと思ってたらしっかりありましたね
フィナーレってついてるけどなんかいつも通りでほっこりしました
あ、すみません。こちらではだめだったのですね。
皆様の場でお騒がせしてしまいすみませんでした。
SmokyQuaetzさん、場所を教えていただきありがとうございます。
そちらに移動してみてお伝えしてみることにします。
運営の管理人様にはお手数で申し訳ないのですが
こちらのスレッドの削除をお願いいたします。
スレ違いとは思いますが、開発の方に暁月の感想を伝えたいので便乗させて頂きます。
暁月のメインクエは失敗作とは言わないまでも、漆黒からはかなり劣化していると感じました。
各場面場面では盛り上がりもあり、感じる所は多かったですが、全体を通してみた時のプロットや設定に疑問を感じました。特に厄災の真相に至る流れとラストについて。
まず個人的に大きな問題だったのがゾディアーク戦が討滅線であったこと。私はゆくっリプレイしていた状態でCFに行ってしまったため、他のプレイヤーは既に慣れており他のプレイヤーについていくだけで簡単に勝ててしまいました。「簡単に」勝ててしまったことで後々のゲーム体験が非常につまらないものになってしまったのです。
自分が操作する主人公が苦戦する度に「何故ゾディアークに簡単に勝てる主人公がこんな相手に苦戦するのか?」と思うことになり「いやいや、あれはCFだったから簡単に勝てただけで本来は苦戦していたはず」と頭の中で補正しなければいけなくなりました。
プレイヤーにそういう脳内補正を強いるゲーム設計ってどうなんでしょう?
これは私だけに限った話なんでしょうか?スタートダッシュで常に先頭を走っているのでなければCFで組む他プレイヤーは既にクリア済か予習してギミックを理解している状態で、苦戦にはなりにくいように思うのですが、他の方はどのように感じたのでしょう。
次にハイデリン戦がフェイス対応であったことで一気に冷めました。
「だったらゾディアーク戦もフェイス対応にして欲しかった」と。そうであればこんなに冷めた状態でメインクエをこなすこともなかったのにと。
以降は本当に冷めた状態で、どのような結末を迎えるのかを見るためだけに長い長いクエをただ進める作業となりました。
そして厄災の真因です。
メーティオンの「どうせ滅びるのだから私が滅ぼしてあげる」というのが厄災の真相だったと私は理解しました。ならば「『苦しまないように』滅ぼしてあげる」でないと意味がないのではないでしょうか。
メーティオンのやっていることは「どうせ死ぬのだから私が殺してあげる」と元気な人を拘束してノコギリで切り刻んでいるのと同じように私には思えました。
つまり狂人の暴挙が原因だった。
なんというかものすごい肩透かしでした。哀れな経緯とはいえ力を持ちすぎた狂人を倒すだけという、勧善懲悪の単純な話に思えがっかりしました。
更に苦戦する主人公達を救うのが違う方向に狂ったゼノス。
自分の身につけた技術を全力で振るっているときのみ生きている喜びを感じる。残念ながらその身につけた技術が人と殺し合うためのものであったことと、自分が喜びを感じるために非常に多くの人の命を犠牲にした狂人がゼノスという理解です。
これまた勧善懲悪の単純な話に思えがっかりしました。
更にゼノス戦で主人公は何度でも復活する不死身状態なので、チートかバグ技を使って勝ったような気分になりました。
そのくせ物語は激戦の末主人公が辛勝しゼノスは満足したかのように進むので共感する部分はまったくありませんでした。
正体不明の力で何度でも復活する主人公に負けて何故ゼノスは満足なのか?私には理解出来ません。誰かに負けたかっただけなんでしょうか?
クリアできないプレイヤーが出ることへの配慮なのかシステム上の都合なのか理由はわかりませんが、何故普通のインスタンスバトルにしなかったんでしょう。
インスタンスバトルならもうちょっとは苦戦した印象になったでしょうに。
暁のメンバーや過去の登場人物たちの描き方はとても良かったです。でもそちらに頭が行き過ぎて厄災と戦う流れ、プレイヤーの体験とストーリー進行が噛み合っていない。更に敵側の設定や、流れにも問題があると感じました。
漆黒にあった、「今」より平和で穏やかで進んだ古代の世界を復活させようとしているアシエン達は間違っていると言い切れるのか?主人公を代表とする今の人々が「古代人を超える未来を作れるだけの資質があるか見てあげよう。まあ無理だと思うけど」というエメトセルクは悪と言えるのか?といった深みはどこに行ってしまったのでしょう。
メーティオンが狂ってしまうまでに見た終末も見たことがあるようなものばかりで、漆黒のような深みを私は感じませんでした。
釈迦に説法とは思いますが魅力的な敵は物語を引き立てます。魅力の無い敵は主人公も魅力のないものに見せます。今回は後者だったと私は感じました。
長い時間を使わされた割に、とんだ期待はずれだったと言うのが私の感想です。
人により解釈が違うところではありますが、「生きることは所詮苦しみしかないのだから私が今すぐ楽にしてあげる」という意図のもとで行動しているように、私には見えました。
現代でも反出生主義という考え方もあることから、ある程度は理屈に叶った思想と行動なのかなと思いながら見てました。
「自分の身につけた技術を全力で振るっているときのみ生きている喜びを感じる」「自分が喜びを感じるために非常に多くの人の命を犠牲にした狂人」というのは、皮肉なことに、光の戦士のことでもあるんだろうと思います。
零式や極蛮神に挑戦し、趣味で武器を作るために帝国兵を殺しまくった新生からプレイしてきたプレイヤーには心に来るものがありましたね~。
勧善懲悪には違いないかもしれないんですが、「懲悪」の部分にプレイヤー自身が含まれてしまっているという皮肉が何とも味わい深いです。
かといって、プレイヤーを批判しているという訳ではないのが絶妙に上手い所だと感じます。
私はヘルメスが闇落ちする過程に、「悪と言えるのか?」という考えを持ちました。
ヘルメスは少数派の意見を踏みにじらないことに固執するあまり、結果的にメーティオンを放置するという暴挙に出たわけですが、「少数派の意見を無視しない」それ自体は正しい行為であるため、頭ごなしに悪いことだとは言えないし、ヘルメス自身「ぼくは正しくない。けど君たちも正しくない」と言っているように、「じゃあ正しいことってなんだろう?」「何を間違えたのだろう?」って考えてしまいました。
ヘルメスの闇落ちは、ゲーム的にはかなり短い期間なのに、あれだけ説得力を持って語ることができていたのを見て、やっぱりシナリオ担当班は半端じゃないなと思いました。
もちろん、漆黒の方が良かったところは全然あって、それは全く否定しないのですが、暁月も期待を超えてきたなあと私は強く感じました。
ヘルメスについては、行動や言動のままに動物愛護者、自然崇拝者と捉えてしまうと矛盾や違和感を感じましたが「人の在り方へのこだわり」と捉えると行動や言動がかなりしっくりきました。
またよくよく話の中身や会話を見直してみると「他者に答えを求める」か「他者との繋がりの中に答えを見つける」かの手段の違いこそあれ、人に対する思いや目的、取り組みなどはヴェーネスと同じではないかと思えるようになり、そう思わせるようなメッセージがかなり見受けられました。
そういう見方でヘルメスとヴェーネスを対比させ、理解しようとすると、ゼノスの存在の意味、最後のヒカセンとの対峙の意味が凄く腑に落ちました。
漆黒についてはドストレートなメッセージ性があり、何度も読み返したりプレイしなくても受け手の解釈をあまり左右しない物語であった一方で(旧版も含めると)10年の物語の伏線回収となった暁月は、新生からのストーリーを見直すことで新たな発見や解釈が出来る余地がかなりあるな、と思いました。
そういった意味では漆黒のが良かったか、暁月が良かったかは、好みが分かれるのは否めないかもしれません。
生と死、希望と絶望という非常に難しいテーマを、ゲーム設定を活かして素晴らしい分かりやすさと説得力で両面から描いた傑作でした。
旧版から暁月までFF14が表現してきたものとコミュニティが味わった経験をストーリーに重ねるように、希望と絶望はこうあって欲しいという想いを伝えようとしている気がして、1本の作品であると同時にこれがFF14の足跡そのものだと感じました。
暴挙を犯す狂人を倒す勧善懲悪ものと捉えていた人がいて、なるほどそういう見方もあるのかと思わされたのですが、
私は、ヘルメスは周囲との価値観の相違に苦しんみながらも、真面目過ぎるほどに命の意味、生きる歓びについて考え抜いた、生命への愛情に溢れた人間で、古代人の中ではある意味で一番今の人間くさい側面を持ってるように見えました。
87IDの後に、人として終わりに抗いそれを乗り越えられるなら我々は生きるに足る存在だと言っていたので、本質的なところでは第七星暦の終末と戦った人たちと同じなんだと感じます。
ただひたすらに自分の考えと職務に殉じた、生命への愛情に満ち溢れすぎてしまった青年がヘルメスだと思います。
メーティオンはそんなヘルメスの指示をしっかりと遂行しきった優秀なエンテレケイア。
そう思うと、もたらされた終末には悪意が介在していたわけではなく、各々が良かれと思って行った行動が少しずつ何かが噛み合わずに悪い方に転がってしまった結果でしかなかったという事になり、これを悪だと断ずる事は出来ませんでした。
それはそれとして…
デュナミスやエンテレケイアなど哲学の言葉から、リアルの宇宙のダークエネルギーが占める割合68%という数字まで、
幅広く現実世界とリンクしそうな要素が盛り込まれ、これはアーテリスに限らず地球もそうだったらどうなるんだろうなんて随所で妄想が捗りましたね。
なので完走した時には、ゲームから「みんなも絶望に苛まれた時でもこうやって乗り越えるんだ」とメッセージを受け取った気分でした。
例えが適切かは分からないので何とは言わないけど、苦しいからDLCの予定を全部やめにしてプロジェクトを締めて小説で補完させとこう、みたいな絶望に負けてしまった星もあったけれども、
1回メテオを落として世界をぶち壊すほど獣になりかけた時期も乗り越え、前へ進む意思を強く持てば私たちはここまで辿り着けたのだという1つの裏テーマみたいなものがある気がしました。
素敵な作品をありがとうございました。
これからも期待しております。
個人的な感想ですが、
個々のストーリーが完結していて次のストーリーへの橋渡しが不十分かなと思いました。
個々のストーリーの出来は良かったと思いますが暁月のメインクエスト全体で見ると複数のストーリーを寄せ集めた印象が強いです。
あと個々のストーリーの出来は良かったと言いましたがやはり深堀りが無いのが気になります。紅蓮の時も書きましたがもっと深堀りして描けるだろうって場面が非常に多く、過去の運営の方針から思うにもうそういった深堀りも無いんだなと思うと残念です。
個人的には暁月を6.0~7.x使ってじっくり描いてほしかったです。
否定的な意見になってしまうのですが、どうしてもガレマール帝国を手助けする事は受け入れられません。
理由は、かつて帝国はエオルゼアに対して行ったメテオ計画。この時あんなもん落としたらエオルゼアの一般人がどうなるかなど考えてなかった。
(ネールの暴走だったとしても、それを止める者も居なかった)
もうひとつは、黒薔薇です。こっちも同じですが、別の世界線では第八霊災が起こっており、今も苦しんでる人々は多いと思う。
属州にされた所では奴隷階級にされ、実験動物にされてたこともあった。
光の戦士視点では、こっちが生身で戦っているのに、マシンガン、ミサイル、ビーム、巨大ロボで踏みつけるまでありました;実害があるんです。
そういうのを平気でやってくるのがガレマール帝国なんです。
なのにどうして、奴等の立場が危うくなったら救済しに行くってなるんですか?しかもそれをメインクエストにしてプレイヤーに強要させるのか意味がわかりません。
サブクエストだったら助けたいと思う人だけやればいい話だったのに。
エオルゼアの連中も、イシュガルドや東方連合と組んでガレマール帝国に対抗するんだと 何年もやってきたんじゃないですか。
なんで急に180度回転して人命救助だとかなるんですか? ガレアン人は今まで属州民を踏み台にして生きてきた奴等ですよ?
エオルゼア3国内でもアウトロー戦区だの領土争いをしてるのに、復興してガレアン人にお返ししてさしあげるっていう論理が弱い。んなもん植民地に決まってる
当初の予定通りエオルゼア同盟VSガレマール帝国でバチバチに全面激突して双方ボロボロになって辛くもエオルゼア側が勝つ。
それでガレマール帝国の話はスパッと気持ちよく終わりで良かったんじゃないですか?
本当は関ヶ原の合戦みたいのがいいんだけれどマシンスペック的に無理そうなら、せめて生き残ってる軍団長を全員連れてきて(アニマに操られててもいいので)
オール軍団長VS光の戦士 は やってほしかった。
どうしても僕には弱ってる帝国人5、6人に救助をして回れ!というのがゲーム体験としてもメインシナリオとしても面白いとは思えない。
新生のときの、兵士にメシを配ってまわれ ってのから何も進歩してないし、そもそも地味だもの。
街も必要以上にボロボロにして魅力のないエリアにしてしまうし、いっそこの辺の話無かったほうがよかったんじゃないかとすら思う。
吉Pなのかシナリオライターなのかわかりませんが、助けたくないちゃんとした理由があるプレイヤー意見は蔑ろにして
何がなんでも困ってるヤツをみつけたら助けさせる姿勢はちょっと異常よ。
ガレマール帝国、ユールモア、アラミゴ その他諸々ならず者国家に対しては 助けない、教えない、関わらない でいいんです。
過ぎてしまったことなので、せめて分遣隊長以上の階級の者は全員処刑。(フォルドラだって投獄されてたから、それ以上の刑は当然)
それ以外のガレアン人は未来永劫奴隷。意味もなくヒカセン十字陵でも作らせときますか。 属州民だった者は解放してあげるでいいと思います。
良かったとこも書きます。最後の殴り合いの演出はとても良かったです。あれはここぞの場面で定期的にまたやろう!
それとは別に次回の拡張で見たいのが、操作できないイベントの中だけでいいので アゼム転身。
プレイヤーがそのジョブを使えようとなかろうと、転身すると全ての武器、魔法、忍術、LBを使いこなす全部盛り。(手元に光の武器を生成できる。)
まったく別物に変身してしまうのではなく、種族と性別は反映し、いずれもひたすらにカッコいいを追求したデザイン。(シュっとしたシルエットではなく、ブワッっとした感じ)
その動きは まさに武器を使用したドラゴンボール状態。とにかくスタイリッシュ。 こんなのを是非。
そんなあなたにイルサバード派遣団集結時のリセの言葉を。
「でも、帝国と相対してきたからこそ知ってることもある。
ガレマールの旗のもとにいる人も、人だった。
許せないヤツがいて、嫌な思いもいっぱいしたけど、だけど、それだけじゃなかったんだ。
フォルドラと話せたみたいに……。シドたちが、いつも全力で協力してくれたみたいに……。
(中略)
お互いの未来を考えるには、まず、生きててもらわなきゃいけないって……ちゃんとみんな、分かってるんだ」
この直前に、派遣団に参加したくなかった者も多かった旨の発言もありますので、プレイヤーの中にそう言った感情を持つ者がいても確かにそれもおかしくないのでしょう。
しかしながら、これまでの冒険でエオルゼア同盟軍がGCエオルゼアになり、彼らがどんな理由でこの方針に辿り着いたのかも描写されていますので、強くてニューゲーム等でその辺りを意識して遊ばれてみると、もしかしたらモノの見方も変わってくる可能性もあるのではないかなと思います。
その上でなお彼らに気持ちを重ねられないと言われるのであれば、助けると決めて乗り込んでいった部分のシナリオが悪かったというよりは、救うという決断に至るまでの描写が未熟だったからプレイヤーにそう思ってもらえなかったという事になるでしょう。
つまり納得がいかないのであれば、ガレマルド部分のシナリオではなく、4.xのフォルドラ関連や、5.xのGCエオルゼア結成の辺りが不出来だったと主張される方が適切だと思います。
ですがやはり、シドはメテオ計劃を止めようとする意志はあったものの力及ばず、メテオ計劃に非常に近い立ち位置にいたにも拘らず、結果として遂行を止めなかった者に分類されるると思いますが、彼に処罰を与えるような感情には少なくとも私はなれませんでしたね。
もしかしたら、善意より実利の問題かもしれません。
ガレマール帝国は外側から見れば強大な侵略国家だったと思われますが、
魔法もろくに使えず、寒冷地方に追いやられた弱小部族が、
エメトセルクに目を付けられてしまい、
オーバーテクノロジー気味の魔導技術で強化され、
階級制を敷いて属国を押さえつけ、強引に版図を拡大してきたわけなので、
統治体制が瓦解した状態で放置しておくとより無茶苦茶になって、
周辺国に難民が押し寄せたりする可能性も少なくなさそうです。
イルサバード派遣団の実働部隊の人たちは善意で動いてるかもしれませんが、
都合の良い統治体制が敷かれるように立ち回ったほうが、
周辺国の上層部から見れば利益が大きいんじゃないでしょうか。