Originally Posted by
Mariqua
この手の話になるとレアの概念を崩した理論が必ず展開されますよね。
お金さえあれば誰でも手に入る装備なんてどこがレアなのか理解に苦しむんですよ。
お金を稼いで大金叩いて買うのも周回して取りに行くのも、仮に取得までの時間が同じであったとしても
難易度が全く違いますよね。お金なんていうのはそれこそ思考停止でカラクール修行なり(今は割りと安いですが)
錬精PTでも入ってマテリア売りまくっていればいつか貯まりますが、
ダンジョンの周回作業でアイテムを取得、というのはただ行ってるだけでは絶対に集まりません。
難易度の差を無視して時間の概念だけで語るからレアアイテムの基本概念が崩れるんですよ。
R○Tがどうのとかゲームとは全く関係のない話はどうでも良いので、まずはゲームとしてのあり方を考えて下さい。
はっきり申し上げておきますと、レアアイテムというのはコンテンツクリアへの努力を
放棄しているようなプレイヤーが持つには過ぎた代物であるということです。
大体まともにコンテンツ攻略の努力をする気もないのに高性能な装備なんて持ってどうするんでしょうか。
宝の持ち腐れとはまさにこの事です。
そういうプレイヤーは自分の実力にあった装備だけ付けていれば良いと思います。
それが嫌ならコンテンツをクリアする為の努力をしましょう。
ゲームでも何でも、努力無しで自分の思い通りに全てお金で解決しようとする考え方には全く賛同出来ません。
「ゲームなのに努力をしたくない;;」とか言うのならそこで止まっていれば良いと、そういう話です。
お金を稼ぐ努力と周回してレアアイテムを集める努力を同質のものと考えて欲しくないんですよね。
EX属性とかRare属性とかの発想の根源って物質としての価値ではなく、
”能力”としての価値を付随する為の設定なんじゃないんですか?
ようするにレアアイテムは資格の一つであるという考え方です。
お金を稼ぐ努力はお金という物質を得る為の努力。
レアアイテムを集める努力はレアアイテムという資格を得る為の努力。こう言えば伝わりますかね?
もっと分かり易く言えばExRareのアイテムをお金で買えるようにするという案というのは
”裏口入学を全面的に肯定しているのと同じ事である”という事です。
ゲームでもそういった意味での努力の概念が存在しても良いとは思いませんか?
そももそコンピューターゲームの本質と言うのは努力が報われる為の遊びです。
別の言い方をすれば、努力が報われるからこそ遊びとして成り立っているんです。
ゲームというのは云わば、努力の連続作業が報われるための遊びなんです。
作り手がわざと努力を報わせないゲーム作りをしない限り、
コンピューター相手のゲームの本質は必ず努力が報われるようになっています。
だからゲームクリアという終わりもあるし、やっていれば誰でもそこに到達出来るようになっているんです。
それがゲームの最大の醍醐味だと私は思っているのですが、そこをお金で解決出来ると言うのは
努力している人に対してのある種で冒涜でもあると私は思っています。
だから「何でもお金で買えるのは萎える」という意見が出てくるのだと思っています。
そりゃ誰だってレアアイテム(資格)を得る為に一生懸命努力(勉強)しているのに、
何の実力も努力もない人がお金でポンとその資格を買えたら「自分の努力は一体なんなんだ」って思いますよ。
だから私はお金で何でも買える案というのは反対なんです。
これを賛成してしまうと、本質的にはR○Tや課金アイテムを肯定しているのと同じ事になると私は思っていますからね。
単純な話、時間や努力をお金で買えると言うのはゲームとしての在り方を崩してしまうんですよ。
先述してあるように、ゲームと言うのは努力の連続作業です。
ゲームに時間が取れずお金で解決出来るシステムというのは喜ばれる人には喜ばれるとは思います。
ただそれをやってしまうと本来のゲーム(努力の連続作業)としてのあり方が崩れてしまう。
昨今の課金アイテムゲーを見て少しでも思うところがあるならば、この話の意味は少しでも伝わるとは思うんですよね。
ゲームというのは公平でさえあれば平等である必要性などどこにもないんです。
プロデューサーがオンラインヒエラルキーでトッププレイヤーが云々という発言をするのも、
こういった本質の部分を理解しているからこその発言だと私は思っています。
長々と、そして何度か似たような事をところどころで言っておりますが、
それだけ反対しているという事が伝われば幸いです。