あの場面でデリカシーが話題になるのは、「あえて『デリカシーの無い大人』をフィクション内で表現している」ようには見えなくて、「作品世界にデリカシーそのものが無い」という印象が強いのが問題かと思います。なんだか少し風向きが変わってきて、黄金のレガシー以降のシナリオを批判するにしても焦点がアレアレ……?となってきているような気がするんですが……
例えばグルージャにあの内容を聞かせるのは倫理的にあるいはデリカシーなさすぎて驚くという内容が増えてますが、そうは言ってもこれフィクションですよね。
「現実にデリカシーのない大人の振る舞い」と「フィクションで描かれたデリカシーのない大人の振る舞い」とを同じ調子で非難したりシナリオの欠点として批判の対象にするのは、さすがに色々ごちゃまぜにしすぎてまずくないかなと思うのですが。
これをNGとするのって、お名前は出しませんが例のポリコレ会社が関係各社にコンサルティングの名目でやらせようとしていたこととあまり変わらないのでは?
この路線の話をするなら、FF16はベアラー差別を描けないことになりませんか。あるいはヤクザものの作品で人殺しをする場面を描けないことにならないですか。
デリカシーのない残念な大人を、家族にも心の内を見せない残念な形で自ら孤立していった大人を、家族のことを見ていたようで見ていなかった大人を、フィクションだからこそ描いている、とぼくは感じるのですが少数派なのかな……。
読み手であるプレイヤーに対して、何かを印象付ける説明や描写が足りない、というのはシナリオに対する健全な批判だと思います。
が、内容が残酷にすぎるとかデリカシーがないというのは、そう描かれた作品に対してはむしろ「作る側の思う壺ですねヘッヘッヘ」というか。
作品の傾向が自分にあわなかっただけなら、「こういう内容は自分にはあわなかった」が諸々適正なんじゃないのかなあ、と個人的には感じる次第です。
「何が記録されてるかわからないデータをいきなり子供に開示する」という行為を気にしない人も拒否感を感じる人もいるように、あの場で誰一人疑問を出さないのがキャラクター描写として正解には思えない人が多いからだと思います。
うーんなんか違うんですよね、うまく言語化できそうになくて申し訳ないですけど。ニーズは妹の復習ですけど全面的に出してるのは人間嫌い&復讐の部分で、ずっと妹との思い出やお涙頂戴見せられてるわけじゃないですし、教皇とアイメリクも「父親殺し」というワードは出てますけどそれよりも宗教信仰戦争って部分に気持ちよく目を向けれましたし、ヨツユも過去の話はありましたけどそれはただの通過駅程度のものでその先にある「ドマ人への憎しみ」のほうがストーリーのポイントでしたけど、最近のはずっとTHE!家庭事情!!!の部分が全面的に、顔面に突き出されてるような。ストーリーの過程で通過するものじゃなくがっつり停車して(作者が)気が済むまで見せられてる、みたいな。ストーリーそのものよりそっちのドラマを大事にしてそうな。たとえるなら少年漫画の恋愛要素と少女漫画の恋愛の違い、といえばいいでしょうか。
ウェルリトは普通に覚え間違いでした、ありがとうございます。
私はアルフィノやアリゼーならグルージャの意思を最大限尊重するだろうな、と思ったんですね。
理由は簡単で、彼ら自身が人生をそうやって歩いてきたからです。
16歳で暁の血盟に入って良いことも悪いこともありましたが、全てが今の彼らの成長の糧になり、何一つ無駄なことはなかったはずです。
確かに今回グルージャが知った事実は救いがないものかもしれません。教えるべきではなかったのでは?と心配する人の気持ちもわかります。
ただだからといって彼の知りたいという意思を無視したら一生モヤモヤが残ります。
知らないままなら傷つかないかもしれないが受け入れて乗り越える事もできません。
グルージャは何も知らない純粋なだけの子どもではなく、聡明で強い一人の人間です。
その彼がどんな結果になっても知りたいと言ったその覚悟と意思を皆が信じたのだと私は思います。
あとここは良かったと思うところが一つあって、
テーシャジャの音声を聞いた後のグルージャが周りの心配する声を遮って自分は平気だって言うんですよね。
そこでウクラマトがすかさず彼を抱きしめるんです。グルージャがそろそろしんどくなってきてるのをちゃんと理解してフォローしてる。
もしウクラマトがデリカシーのない人間だったらああいう所作は出来ないと思うんですよね。
たぶん黄金は人間関係の描写のバランスが悪いんだと思います。うーんなんか違うんですよね、うまく言語化できそうになくて申し訳ないですけど。ニーズは妹の復習ですけど全面的に出してるのは人間嫌い&復讐の部分で、ずっと妹との思い出やお涙頂戴見せられてるわけじゃないですし、教皇とアイメリクも「父親殺し」というワードは出てますけどそれよりも宗教信仰戦争って部分に気持ちよく目を向けれましたし、ヨツユも過去の話はありましたけどそれはただの通過駅程度のものでその先にある「ドマ人への憎しみ」のほうがストーリーのポイントでしたけど、最近のはずっとTHE!家庭事情!!!の部分が全面的に、顔面に突き出されてるような。ストーリーの過程で通過するものじゃなくがっつり停車して(作者が)気が済むまで見せられてる、みたいな。ストーリーそのものよりそっちのドラマを大事にしてそうな。たとえるなら少年漫画の恋愛要素と少女漫画の恋愛の違い、といえばいいでしょうか。
ウェルリトは普通に覚え間違いでした、ありがとうございます。
今までも歪な家族関係は出てきましたが、他にも「仲間・上司と部下・戦友」といった様々な関係のドラマがあり、家族関係も「多少こじれても歩み寄る・寄ろうとする」といった普通の家族物語だったり、そういった中でスパイス的に「歪な家族ドラマ」”も”あった。
この”も”が黄金では”だけ”と言えるほど「歪な家族」ばかりが主要なドラマ・人間関係になってるのがなんというか・・・ワンパターン感を呼ぶのだと思います。
「今までと同じように刺身盛りを期待してたら、出てきたのはワサビだけ」みたいな。
7.1読み終わったらまたまとめて書きますが、コーナがロネークを家族のような物として守るのは
アジムステップで馬を生涯の伴侶とするゴロ族のオマージュかなと思いました
そうでなくても現実で猫の下僕やってる身としては、まぁ理解できるなという感じです
震災の折に津波が迫る中猫を籠に入れて餌やトイレも車に積んで逃げた後に、人間が食べる物を何も持ち出さずに逃げてたのに落ち着いてから気づくって経験を自身がしましたし極限の場面で命をかける事がないとは言えないんですよね
そこは動物飼いが家族として扱うのはあるあるな表現として受け入れてました
Last edited by kakelu; 11-22-2024 at 03:20 PM.
Player
朝になったら冷静になって消しているかもしれないんですが今大変に憤ってしまっているので勢いのまま書きますね
後半ペルペル族友好部族クエ名誉のネタバレなので一応閉じます
誘拐事件の時のウクラマトは事件後に
「あいつらが盗賊になった理由を知ればそんな事しなくていいように出来るかもしれない」(意訳)
みたいな事を言っていましたよね?
自分を誘拐した盗賊に、それでも盗賊になった理由と、それを続けなくてもいいようにする方法はないものかと断罪以外を探ろうとするウクラマトを書きましたよね?
今日今ペルペル族の友好部族が名誉になったんですよ
「盗賊団は一度自首、自首した事と盗品を返した事で恩赦も下り仮釈放」
「足は洗うも相変わらず食うや食わずの生活」
「実は青燐水採掘に悪徳主から逃げてきたのでその追手に怯え隠れ潜んでいた」
「しかーし! その悪徳鉱山主はとっくに倒されていました! 恩赦前に理の院から情報共有ナシ!」
武王は恩赦は下したが結局盗賊になった理由とか聞かないまま釈放したんですか?
武王は悪事を続けなくてもいいようにする方法を探る事なく釈放だけしたんですか?
なんで一度描写されたウクラマトの深慮と真摯さをないがしろにされなきゃいけないんですか
本来なら友好部族のスレッドに書いた方がいい事はわかります
でもこういう所、本当に黄金のレガシー7.0ずっっっっっとこういう所
実際表にしたらおかしくない時系列と流れなのかもしれませんね、でもその表は開発しか持ってないやつですよね
私自身がウクラマトについて一部の人たちに不当に下げられていると思っているので過敏になっている所はありますが
開発の皆さんこそ彼女を一番愛せる人たちだと思うので、出来ればこういう事の擦り合わせはきちんとやっていただきたいと思います
これまでもアレクサンドリアがアーモロート、レムナントの劣化焼き直しといった意見が散見していましたが
これも他の方も仰られていますがスフェーンの偽物の登場も紅蓮のゼノス、漆黒のアルバートとの既視感が非常に強いと感じました。
ゼノスに関しては言わずもがなの宿敵、アルバートも魂を託してくれた者を穢す行為であり、プレイヤー自身が立ち向かう脅威として相応しいものだったのですが
スフェーンの場合はLv100討滅戦の展開、「ふたりの路」という曲名からも分かるように完全にプレイヤーが蚊帳から外されきったあとの展開でもあるので
より一層プレイヤー自身が立ち向かう脅威として劣化版という印象がどうにも拭い切れませんでした。そう言えばプレイヤーは主人公ではなかった。
バクージャジャの謝罪から和解の展開がクロニクルに回ったことは、それが果たして良いことなのかは判断しかねますが
メインから一歩距離を置いた視点で色眼鏡なく改心を受け入れることができたので英断だったように思えます。
うーん、やっぱりそこは「そういうキャラクターが多数いる世界として描かれた物語に対する感想なんだから思う壺にハマってるぜシメシメ」と、ぼくが作り手ならこう喜んじゃうな、と感じます。
とくにキャラクター描写として正解かどうか、は、作品をどういう内容にするかの作り手によるコントロール下で自由にされて良いものだと思いますし。
このへんは個々の感じ方や創作物に対する価値観の違いでしょうかね。
本件は議論したいワケではなく、ただの感想です。
7.1につきまして、プレイをして自分が思ったことを書き込みさせていただきます。
コーナの出生について、今までコーナが自身のことを「親に捨てられた」と認識しており実の両親に対してマイナスの感情を抱いていたものの、とある人の話を聞いて「自分は親に愛されていたんだ」と思い直す一連の流れがとても唐突で無理やりに感じました。
理由として「その赤ん坊は自分であるし囮になったのは自分の親であるというエビデンスはどこにもないのに、すんなり『これは自分のことだ』って信じられる理由は何?」と感じたことです。
コーナの両親に関する伏線があまりにもなさ過ぎて、その話が出てきたこともいきなりでしたし、コーナがその話を納得するのも唐突すぎると感じました。
それこそ7.0の中で丁寧に描いていただきたかったな、と感じております。
「コーナがそれで納得したならいいけど…」と無理やり自分を納得させるほどに、この辺りの流れは唐突さとご都合主義感を強く感じました。
まだ族長に何かしらの心当たりがあって…の流れの方がよかったような気はします。
黄金は全体的に「情報が突然に後出しで開示される」というシーンが多いと感じております。
追記:強いて言うならば騒動が起こった土地とコーナが保護された土地が合致しているものの、それを裏打ちとするにはあまりにも弱いと思います。他にも赤ん坊がいた可能性は大いにあり得ますし、騒動に関係なくコーナが放棄された可能性も消えないので。
Last edited by Goldclock; 11-22-2024 at 11:14 AM.
例えば「桃太郎」の話を読んだときに
(桃太郎はかっこいいな)とメインの人物を見ている人もいて
(きび団子って犬猿雉が食べられる団子なんだ)とピンポイントなところを見る人もいて
(鬼からしたら桃太郎は英雄ではなく殺戮者だよ)と鬼の肩を持つ人もいて
とにかく一人ひとり、同じ話を聞いても違う感想や思考を巡らせると思うんですよ
自分がいままで14をプレイしてきた印象としては
エオルゼアでなにか事件が起こったときに
キャラクターそれぞれが、それぞれの今まで培ってきた価値観と立ち位置で
その事件についての原因や解決策、話し合いであれば見解を述べてたと思うんです
そこに意見の食い違いがあれば、だいたいはその理由まで
キャラクターの性格や思惑に沿って相手に伝える努力はそれなりにしてきてたと思うんです
そしてそれを丁寧に描写してくれていました
新生からいままで積み重ねてきた「物語」の集大成
「漆黒はいいぞ」「暁月は感動」
ゲームを構成する要素の中で「ストーリー」重視で制作されたであろう14は
本当にひとつの名作映像作品を見せてもらっているような
ゲーム体験を提供してくれました
14をやっていない友達にも「とにかくストーリーがいいから騙されたとおもってやってみて欲しい」
そうプレゼンしてしまうほどでした
自分が見た感じ黄金ってその要素がほとんど見受けられなくて
例えば何色かわからないものを見たときに
ウクラマトが「あれは黒だ!」って言ったら
全員が「そうね、あなたがそういうならそれは黒ね!」「黒で間違いないよ!」って
超速理解完全同意する人しか出てこないのが
すごくモヤモヤしました
みんながみんなウクラマトに都合がいい発言しかしないのすごいなぁと...
シナリオを書かれている方が
自分だけが持ってる情報とご自身の目線だけで物事を考えてお話を転がしているのかなぁ?というか...
何も情報を持っていない目から見たら
本当に流れや発言に共感を得にくい印象でした
ストーリーとして結末が決まっているから
そこに収束する展開にせざる終えないにしても
プレイヤーであるヒカセン
暁のメンバー
トライヨラの国民達
各地の他部族
みんなウクラマトの味方、同じ意見にしかならない、ウクラマトに対してだけ理解がありすぎる展開に
ちょっと疲れてしまいました
(今のカットシーン本当に必要あった?)と素人ながら感じてしまうシーンも多くて...
当のウクラマト本人は口では「知りたい、大好きだ」と言いながらも
相手の気持ちや理由、立場に無理解(というか結局自分の尺度でしか考えない)で
粗野で押し付けがましく、自分の都合だけで「解決したぜ」と終わらせる
呼ばれてもないのに偶然耳に入ったから、みたいな理由で他人の話に入ってくる
個人的には無理だな~って感じのキャラクターで
7.1で多少修正はされているようですが
7.0までのノンデリ女王とイエスマン達のお話の続き、という印象が強くて
結局シナリオの細かい荒探しをしてしまっている自分にも疲れてしまいました
このゲーム好きなはずなのになぁ...と
一部にウクラマトの種族や見た目で受け入れられない、という意見も見かけますが
個人的には見た目が超絶美少女やバチクソイケメンでも
あの言動ならやはり無理になります
これからどこまでファイナルファンタジー14~ウクラマト完全同意編~が続くのかわかりませんが
開発の皆様には今はびこっているネガティブな意見達を
見事に覆すようなこれからのストーリーに期待しています
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