旧世代のMMORPGに関する私の、基本的な不満は引退前に以下の通りに書きました。

http://lodestone.finalfantasyxiv.com/rc/diary/entry?e=51527
http://lodestone.finalfantasyxiv.com/rc/diary/entry?e=52678

 これらの記事に付け加えて書くならば、旧世代のMMORPGには受信ドラマは色濃く有っても、送信ドラマが少ないといったところでしょう。
 私は大航海時代からMMORPGを始めた人間なので、MMORPG黎明期を知りません。なので、推論になってしまいますが、初期のMMORPGが興隆したのは、ネット空間という仮想世界に仮想人生=ドラマが生まれる可能性を見た人々が、あらたなリゾート地としてのMMORPGを求めたからだと思っています。
 
人は、ドラマなしには生きられず、常にドラマを求め続ける。

私に言わせれば、音楽もまたドラマ表現の一形態と思っています。むしろ、触媒か?
さて、世の中にはドラマを提供するコンテンツは如何ほどあるでしょうか?
TV、ラジオ、ゲーム、音楽、小説、神話、観光…。
人の営みのダイナミズムさに娯楽性を見出し、それをさまざまな角度から表現するに至って、ドラマのない娯楽は存在しないと、私は思います。不遜な書き方をするなら、宗教もまたしかりです。
はたして、今までのMMORPGクリエイターはこのようなセンスを持っていたのでしょうか?
まあ、私にはわかりません。

ただ、私から言えることが一つだけあります。
二つ以上の世界に身を置かないクリエイターに明日はない。
という事です。
己の内包する系を常に、己を内包しない系から俯瞰して思索しない人間に、クリエイティブな活動は不可能だというのは、かつての押井守の言葉を待つまでもないことです。それは、製作信条から普段の考え方、販売戦略なんにでもいえる事にも思えます。
かつて、私はTRPGを産業として成立させ、それを発展させようとしてきた人々の末席に、アマチュアながら参画し、いくつかの企業を相手取ったイベントを手がけた事もありました。
そして、彼らにTRPGを売るなら、TRPGだけではなく常に他のコンテンツ産業を意識すべきだと、当時の拙い言葉ながらエールを飛ばしたものです。
結果は、今のコンテンツ産業周囲を見渡せば、ご理解いただけると思います。
ユーザー層の規模から、MMORPGがすぐに廃れるとは思いません。しかし、このまま旧世代のMMORPGのみが、量産され続けるならば、TRPG産業の二の舞になるのだろうとは、思います。

書きたい事の半分も書けなかったので、いったん投稿します。