錬金65クエでフ・ラミンが出てきますが「(恋人が)第七霊災が起こる直前に、何者かに殺されてしまったの」との発言があります。しかし旧メインクエによればこれは第七霊災の5年前のはずで、直前と言うには間が空きすぎているように感じます。ライターのミスではないでしょうか?
一応可能性としては、5年前から第七霊災の予兆があり、それに向かってラミン達は動き始めていたためラミンにとっては第七霊災の直前の事だ、というのも考えられますが…。そうだとしたら、この表現ではその事が伝わりにくすぎる気がします。
錬金65クエでフ・ラミンが出てきますが「(恋人が)第七霊災が起こる直前に、何者かに殺されてしまったの」との発言があります。しかし旧メインクエによればこれは第七霊災の5年前のはずで、直前と言うには間が空きすぎているように感じます。ライターのミスではないでしょうか?
一応可能性としては、5年前から第七霊災の予兆があり、それに向かってラミン達は動き始めていたためラミンにとっては第七霊災の直前の事だ、というのも考えられますが…。そうだとしたら、この表現ではその事が伝わりにくすぎる気がします。
そもそも「第七霊災」の定義は何なのか、カルテノー平原のあの一瞬・瞬間を指すのか、それを含めた一連のプロセスを指すのか。
とらえ方、ニュアンスはいろいろかも。
以下私の整理。間違っていたらご指摘ください。
・公式設定?:後世の歴史家たちは、第七霊災はいつから始まっていたのかという問題に対して、激しい論争を交わすことになるだろう。
・第七霊災はカルテノー平原の戦い(六星暦1572)で始まり、5年間続いたとされる。
占星台で「蒼き翼の飛空艇」(エンタープライズ)が観測されたのが第六星暦1572年。
旧メインクエはこの時点で終了。
・ウルダハ市内でのパレードの事故が第六星暦1562年。
・第七霊災の前に、冒険者は彼の魂を解放した。この段階で死後10年ほど経過している。
彼は1562年頃に亡くなっているが魂が解放されたのは1572年直前。
フ・ラミンの視点で、第七霊災はいつから始まっていたのか? 彼が真なる死を迎えたのは何時なのか?
それを詮索するのは野暮ってもんですぜ。
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