少しまとめます。
このスレッドの目的はFF14を「冒険が実感できるRPG」にすることである。
「すっぴん案」はそれを可能にするので、「すっぴん案」は「冒険が実感できるRPG」の要素を持つ。
また、#1771より、「すっぴん案」より「FF14の根本的な問題の認識と解決策」の方が重要である。
「FF14の根本的な問題の認識と解決策」に合致すれば、「すっぴん案」でなくても良い。
つまり、「冒険が実感できるRPG」とは「FF14の根本的な問題の認識と解決策」であり、その一例が「すっぴん案」である。
ただし、#1771には具体案に対して「個人的な強いこだわりや趣向はあります」と書かれている。
「すっぴん案」には「個人的な強いこだわりや趣向」が含まれる。
「個人的な強いこだわりや趣向」は主観的であり、客観的ではない。個人の好みの問題である。
一方で、「冒険が実感できるRPG」には共通概念がない。
これは、個々人が勝手に思い浮かべるものである。もちろんNekohebiさんにとっても。
では「冒険が実感できるRPG」にも「個人的な強いこだわりや趣向」が含まれるのでは無いか?
「FF14の根本的な問題の認識と解決策」についてはどうだろうか?
「根本的な問題」とは「個人的な強いこだわりや趣向」で問題視されるべきものではない。
むしろ、客観性を有さなければ「根本的な問題」だとは言えない。
「FF14の根本的な問題の認識」が本当に「根本的な問題」であるならば、「個人的な強いこだわりや趣向」を越えた客観性を有するはずであり、「FF14の根本的な問題の認識」が、「個人的な強いこだわりや趣向」であるのならば、それはもはや「根本的な問題」ではなく、好き嫌いである。
つまり、
・、「冒険が実感できるRPG」とは、客観的な「FF14の根本的な問題の認識と解決策」に、主観的な「個人的な強いこだわりや趣向」が加わったものである。
あるいは
・、「冒険が実感できるRPG」とは、「FF14の根本的な問題の認識と解決策」であるが、それは主観的な「個人的な強いこだわりや趣向」である。
のいずれかであり、「FF14の根本的な問題の認識と解決策」の客観性の有無を明確にすれば、その答えがわかる、と思う。