フラウンダーへの対応に違和感は覚えなかったなぁ。
昔から大概の戦闘系の蛮族クエでは同じようなことしてるわけで、何を今更という感じ。
協力的な蛮族から依頼されて、敵対する蛮族のリーダー格をぶちのめしたり、施設を破壊したり、食料を奪ったりしてたでしょ。
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フラウンダーへの対応に違和感は覚えなかったなぁ。
昔から大概の戦闘系の蛮族クエでは同じようなことしてるわけで、何を今更という感じ。
協力的な蛮族から依頼されて、敵対する蛮族のリーダー格をぶちのめしたり、施設を破壊したり、食料を奪ったりしてたでしょ。
5・0のラストで止まってた話が半年以上経ってやっと動き出した感じがしました。とりあえずこの流れでいいと思う。
やっぱり5・1みたく脇道に逸れるような事するなら、本筋でもっとブラッシュアップすることは多々ありましょう。
それに・・・気づけばこのゲームはあっちこっちで復興ばかりさせられています; どうしてそんなに復興が好きなんだぁ?w
この調子だと、シタデルボズヤも、倒した後のガレマール帝国ですらも復興を手伝えや!ってなりそう。もうエオルゼア関係ないし、既にたくさん復興させられてるから、それはやめてくれぃ。
これからは そういう光の戦士じゃなくても誰でもできるような作業はメインクエスト以外に割り振っていきましょ。でもって、メインはより濃い内容にすればいい。
人気投票の番組を観ましたが、やっぱり多く登場してても毎回ヒカセン頼みの連中(誰とは言わんがw)よりも、
それに比べれば出番は少なくても、光の戦士を大切に思ってくれる人物のほうが、軒並み順位が高い結果じゃないっすか。
本来、後者の人たちを もっと出番を多く、そして大切にしてあげてほしいのです。
作品全体の順位では5位! 沈没しかけた旧14からここまで巻き返した吉P及びスタッフはホントに凄く頑張ったと思う。
しかし、14はまだ旅の途中。いつか1位に成るべく、更に頑張ってください。
クロニクルクエストの感想スレが無いようなのでこちらに失礼します。あくまで個人の感想です。
エデン共鳴編、三層までは楽しくプレイさせていただきました。リーンの成長も微笑ましかったし、細かい8オマージュも良かったです。ガイアのマイペースだけど本当は愛情深い性格なのが不器用な表現で表れるのも好きです。
ただ四層、シヴァだけは受け入れられないと感じました。
そもそもの蛮神シヴァはイゼルが融和への願いによって呼び降ろした蛮神です。それが本物のシヴァの魂でないことは白亜の宮殿でフレースヴェルグに喝破されています。旅の一行はそこで打ちひしがれるイゼルを置いてニーズヘッグの討伐に向かいました。彼女は己のエゴと向き合い、最後には光の戦士たちの道を拓くためにその身にシヴァを降ろして戦った。
光の戦士はイゼルの葛藤をすべては知らないけれど、白亜の宮殿で別れる際には気遣わしげに振り返り、エスティニアンから竜の眼を剥がす時には姿を見るほどには彼女に対して想いが深いはずです。
だというのに、シヴァという名前でリーンに蛮神を降ろしてしまった。イゼルの想いを踏みにじる行為ではないでしょうか。同時にフレースヴェルグと聖女シヴァ、そしてイゼルを大切に思っているはずの光の戦士のことも蔑ろにしていると思います。
零式はさらにひどい。あんなおぞましい融合を融和と呼ぶのは、たとえ光の戦士の想像と関わり無く何かしらの理由があって強化再現されているとしても、蒼天に思い入れのあるプレイヤーとしてとても見ていられませんでした。フレースヴェルグはオメガを含めれば二度も助けてくれたというのに……。
アルバートの名誉は守りたいけど大恩あるフレースヴェルグやイゼルの名誉はどうでもいいですか?別の方策が無いか探ることもしないんですか?
エリディブスとは対話を試みるけどフラウンダーとは対話のための接触すらしないんですか?自分たちの都合で追い詰めたのに?コボルド族やアナンタ族の説得を試みたのは何だったんですか?自分たちが元凶だしどうせ説得に応じないから無駄と最初から諦めてしまったんですか?
エデン共鳴編も5.2メインストーリーも、通したいシナリオの筋や、やりたいギミックのためにその時その時のキャラクターの単純な反応が置き去りになっているように感じられます。個人的には多少回り道や足止めで長くなってもいいから、過去のクエストを大事にして、順序は正しく踏んでほしいです。
僕(中の人)もシヴァ=イゼルや蒼天での出来事のイメージが強いけど、
冒険者(キャラ)は純粋に氷属性の化身とも呼べる『氷神としてのシヴァ』を思い起こしたんだと思います。
もしあのとき、僕(中の人)が思うでシヴァを想像してたら…
キャンプのシチューやポンポンのアイツに心奪われてた事まで思い出してしまい
雑念だらけのとんでもない層になっていたでしょう。。。
零式の姿もチラッと見たけど零式はストーリーとは関係ない挑戦コンテンツだし、
多少のサービス?みたいなのはあっても良いのかなって思ってたり(挑戦してないから許せるだけかも)
【漆黒のヴィランズはフロムの考える「悪」を描き切った】(5.0感想文)
ドイツの哲学・心理学研究者であるエーリッヒ・フロムは、半世紀ほど前に自著「悪について」で、こう書き記した。
「悪」とは、衰退のシンドロームなのだと。
フロムは衰退や停滞を悪、活性や創造を善とした。漆黒のヴィランズを紐解く上で、非常に興味深い題材である。
さて、衰退のシンドロームとは何か。これは次の三種だとフロムは言う。
1、ネクロフィリア(死への愛着)
2、悪性のナルシシズム
3、胎内回帰的依存
と。難しい言葉が並んでいるがどれも内容は複雑ではないので、順に紹介をしていきたい。
1、ネクロフィリア
死とは静であり、停滞である。死を愛するという事は、衰退する事に他ならず、悪性が存在する。
終末を待つだけの第一世界の人々が、徐々に近付く自分たちの死を受け入れるのは仕方がない事だともいえる。
第一世界は、緩慢な悪に覆われている。
だからこそ、それに抗う力…旅立ちの宿であがくアリゼーや、クリスタルリウムに集う命の力(バイオフィリア=生を愛するということ)が、
その象徴たるクリスタルタワーと共に、善として色濃く存在する。
破滅に向かう第一世界に、異物であるクリスタルタワーやアリゼーたちが持ち込む「善性」の存在が、極上のコントラストを生んでいるのだ。
2、悪性のナルシシズム
一般的な意味の「ナルシスト」らしい性質の事だ。
ナルシシズムは誰もが持つものであり、良性のものと悪性のものに分けられる。
良性のナルシシズムは、自身の努力に基づき、成就した結果を見る。だからこそ、他者にも同様の評価をする事が出来る。
これは活性の力を持ち、コミュニティの中で創造性を伴うことだろう。
だが、悪性のナルシシズムは自己そのものを見る。
悪性のナルシストにとって他者は人間ではなく、自分にとってのアクセサリーのようなものだ。
他者を評価する事は無く、他人からの指摘は自身への攻撃だと受け取ってしまう。
肥大化した自己を見せる事が目的になり、考えが合わないものを排他し、
自分が孤立している事に気づかぬまま、いっそう孤立していく。
これが悪性のナルシシズムであり、持つものを「空虚な栄光」へと包んでいく。
誰の事を言ってるか分かるだろうか?そう、これは全てヴァウスリーに当てはまる。
現実の歴史に存在した独裁者たちも持っていた、悪のナルシストとしての様相をヴァウスリーは見事に体現している。
アルフィノはヴァウスリーに言った。「あなたに必要なのは、絵画ではなく鏡だ。」と。
しかしヴァウスリーは最後まで「私は正しい、絶対に!」という姿勢を崩さなかった。
彼はメオルによる洗脳と、罪喰いを従属させる能力がなければ、何も得る事はなかった。
結局、ヴァウスリーは最後まで鏡を持ちえなかった。
リーンは言った、「本当に正しいなら逃げる必要はなかった」と。
アルフィノは言った、「ユールモアの人々を見捨てるべきじゃなかった」と。
彼がどこかで自身を振り返り、自身の悪性に気づくことが出来たら、また違った未来もあったかもしれない。
3、胎内回帰的依存
母と胎児がへその緒で繋がるように、固着した依存の事だ。確かに何かに守られる事は安心を生む。
しかし、それは生産性のない衰退であり、悪性を持つ。
ユールモアの人々はヴァウスリーや軍隊に依存をし、僅かな芸術性と共に死んでいく。
芸術についても触れたいのだが、チャイ夫人を絵画に描くアルフィノは、
チャイ氏に「これではそのまますぎる…!画家なら豪華で華やかに…」と言われてしまう。
これは、ユールモアの人々にとっての芸術とは、自身の感性を開き毛穴をこじ開け、心の底から感情をゆさぶるようなものではなく、
ただ娯楽として消費するための、曇った鏡のようなものとして受け入れられている事を示す。
しかし、チャイ夫人はそんなアルフィノの「あるがままの絵」を気に入り、
アルフィノが持ってる善性を、絵画を通して彼女自身の心にすくい上げて、彼の協力者となった。
アルフィノという善たる異質が、第一世界の他人を共鳴させた、心が暖かくなる良いシーンである。
◆
以上のように、漆黒のヴィランズは、衰退や停滞を悪とし、活性や創造を善とするフロムの見解から分析を試みると、
シナリオが細部までこだわって作られている事が分かる。
「善たる人」「悪たる人」がいるのではなく、善たる性質、悪たる性質はどちらも同じように一人の人間の中にある。
アルフィノやアリゼーたちが原初世界から持ち込んだ善性が、第一世界の人々に影響を与え、
彼らの中にある善性を響かせてきた事から、どれだけキャラクター達が生き生きと存在している事が分かるだろう。
これは敵であるアシエン・エメトセルクも例外ではない。
彼はユールモアの人々が力を合わせてエレベーターを復活させた時、素直に賞賛をした。
何故か。それは、人々が行った活性と創造の力によるものだからだ。
それは、まさにエメトセルクが見たかった光景であり、彼にとっての善性そのものだからだ。
光の戦士と原初世界の賢人たちは、衰退する世界に善として降り立ち、ヴァウスリーという一つの悪を打ち据える。
しかし、それで物語は終わらない。
何故なら、光の戦士はヴァウスリーを倒した時に放たれた光を受け止めきれず、「なりそこない」としてエメトセルクと敵対する事になるからだ。
エメトセルクは、心底失望した様相を見せる。それは演技ではないだろう。
もし光の戦士が耐えきっていたら、エメトセルクが見たかったものを、きっと見れたに違いない。
そんな事を想いながら、第一世界に善として降り立った光の戦士は、エメトセルクを打ち破る。
これは単なる勧善懲悪の物語ではなく、互いの立場が善性と悪性を持ち、互いの道が交差する物語である。
果たして我々の行為は正しかったのか、古代人たちのために生きたエメトセルクは悪だったのか、善と言えるのか。
我々の価値観を揺さぶり、心に錘を落としていく。
FF14のシナリオ班がフロムの思想を知っていたかは分からない。
しかし、漆黒のヴィランズのシナリオが人の心を打つ理由は、
皆が無自覚でいるが、しかし、自身の心にある「善たるもの、悪たるもの」を鋭利に切り出し、
丁寧に色付けをして、描き切ったからではないだろうか。
済まないが毎度毎度いつ終わるかわからない長テキスト長尺カットシーンにつきあわされるのが我慢の限界です
NPCのテキストは3吹き出しまでに抑えるとかそれ以上長話をだらだら続けたいなら残り吹き出しページ数をだしてください例3/10とか
カットシーンも残り秒数を出せるようにしてくれると助かります
いつ終わるかわからないものを見続けるのは地獄なんです
内容がわかるスキップなら歓迎です