旧14の頃からの待望のイシュガルドへ、こんな状況で行くことになるとはなぁ。
折角の追加ディスクでの新エリアなのだから、
もうちょっと明るい・楽しい気分で訪れたかったというのが正直なところ。
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旧14の頃からの待望のイシュガルドへ、こんな状況で行くことになるとはなぁ。
折角の追加ディスクでの新エリアなのだから、
もうちょっと明るい・楽しい気分で訪れたかったというのが正直なところ。
過去にこういう事例がありまして…
ところで、中村悠一さんは仕事なくなったのだろうか…
3.0で声入れしてるなら、先のストーリーわかってて、一般的なプレイヤーとはこのストーリーの見方変わってくるのかな・・・?
「対比と制限」
まず、イルベルドが強いという印象がプレイヤーにはありませんでした。
そのためラウバーンがあまりにあっさりやられてしまい、
「あれ?ラウバーン弱いじゃん」 と感じた人も多いのではないかと思います。
三国の盟主はそれぞれ固有名の武器を所持しているという設定になっています。
設定を読むとそういう武器には何かしらの特殊な力が備わっていると想像するものです。
(そういう設定がないにせよ) 怒りのままに神器を振るった相手に対して、
プレイヤー視点からは雑兵に近いイルベルドが対等に渡り合うというのは、どこか腑に落ちないものです。
ラウバーンの剣はコバルトブレードに大層な名前を付けた物なのでしょうか?
演出上の人物を対比した場合、どこかおかしいと思うことが FF14 では凄く多いです。
これはよく言われる英雄様問題にしてもそうです。
神をも殺せる光の戦士が一般兵に抑えられる状況とはどう演出すればいいか、
それを常に考えないといけません。
主人公や暁のメンバーはどれくらい強いのか、一般兵はどの程度か、
暁のメンバーははどれくらい弱体すれば一般兵相手に疲弊するのか、
対比してみた場合の整合性の甘さがシナリオを素直に飲み込むことを阻んでいると思います。
そして、世界観の設定は制限として機能しなければ意味がありません。
例えばハリーポッターは魔法でできることできないことが決まっています。
何でも魔法で解決できないように、自分の足で何かを探させる理由付けになっていたりもします。
このゲームではエーテルは空気からとれるのか、触媒がいるのか、無制限につかえるのか、
よくわからない存在です。
そのため呪術士のパパリモが雑兵相手に疲弊してピンチといわれてもピンとこないです。
また、エーテライトという施設が FF14 の町のシンボルになっていますが、
これに、ゲームでは利便性のため演出を省いているが、
本来エーテライトの交感には時間と精神集中が必要という制限や、
肉体を再構成するタイミングで無防備を晒すという制限があったなら、
逃亡にエーテライトが使えないこともプレイヤーは自ずと分かるはずです。
インパクトのあるシナリオは歓迎ですが、
世界観を監修する人を置いて、地盤を固めていって欲しいと思います。
カスト練成の時以上の敵を同時に抱え込むとなると(国相手の喧嘩)さすがの冒険者ソロはきつすぎるので逃げ出すしかないでしょう。
カスト錬成のときタンクがあっさり死ぬときあるからなw
そして冒険者は常に毒薬が鞄にある人が多いので毒殺について言い逃れできない人が多いよね。
俺の鞄にも毒薬あったよ。
劇毒薬あったもの。
一体、誰を信じろと?
コスタで、タタルの不敵な笑みからの雪の家で泣いてるのを見て、凄い殴りたくなって来た。
クリスタルブレイブはウルダハの有権者からお金を貰ってる時点で瓦解するのは予想してたけど、ほぼ全部持っていかれるとは。。。。
ロロリトは王政を続けてもらわないと困る節があるから、ナナモ様は生きてる予感がする?
2.0時のちょいちょいダークな感じをここに来て再度持ってきたかってのが2.55の感想。
今回のプレイヤー層の反応を見て思ったのは、「光の戦士は某無双ゲーのような豪傑と思っている」からいろいろ不満が出ています。
一旦このイメージはそぎ落とすか、もしくは「手を出せない理由」ははっきりと誰でも分かるように描写する必要があるのではないかと思います。
前々から思ってたことではあるんですが、アラミゴを助けるの辞めようかなって思いますたまる_(┐「ε:)_