誤解をされているような方がいらっしゃるので差し当たり私の考えを書いておきます。
まずはAIによる評価を紹介し、議論はニーズがあれば行えばよいのではないかと考えていました。自分の考えを添えていないものは、そういうことです。
AIに聞いてみるテーマは、当フォーラムでされた話題である場合、わたしにとって疑義が残っている話題、解決していない話題、といったことになると思います。
AIは利用者のアシストツールであり、利用者の指示や要求に基づいて情報や回答を生成します。したがって、AIが作成した文章であっても、それは利用者の考えや意見を表現したものであると考えることができます。これは、途中でどなたかのレスにもあったことですが、それがAI生成というものだと思います。
AIは大量のデータをもとに学習し、論理的なロジックに基づいて情報を提供することが目的とされています。そのため、一般的には偏見や独自の考えを持つことなく、客観的かつ事実に基づいた情報を生成する傾向があります。
一方で、一個人の意見や文章は、その人の経験やバイアス、感情などによって影響を受けることがあります。そのため、一個人の文章は一定程度の主観や個人的な見解を含むことが一般的です。
仮に、AIが生成した文章が内容的におかしくない場合に、一個人の意見と同じ結論を導いていた場合、その一個人の文章をただ単に偏見や独自の考えとすることは適切なのかどうか考える材料になりえると思います。そもそも、AIがアシストツールであるということがそういう意味を持つと思います。
AIが作った文章だから間違いが無い否定の余地も無いものだと考えているなら、それこそがAIに期待しすぎている、過剰に脅威に感じているとも言えると思います。
※ChatGPTによる生成文章を含んでいます。
結果的にここでAIが肯定する内容が多くないのは、なにを示唆するのかを考えられると思います。
他者の考えを紹介するということは、それについてある程度の説明ができるということであり、一般的には紹介者はそれに同意していると見なされると思います。
私の場合基本的に自分はどう考えるかを前提にAIに質問しているので、自分の考えを述べろといった意見の方とは、基本的にAIとの向き合い方が異なるのではないかと思います。